テクノロジー

2021.08.06 20:00

生体電池になる私たちの身体についての覚え書き

Syda Productions / Shutterstock.com


私たちは「ロコのバジリスク」に手招きされている


私たちは自らの意志で私たちの道を切り拓いている。私たちは、ほかならぬ私たち自身のために、知恵を働かせ、文明を発展させている。一般的にはそのように思われている。
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しかし本当はそうではないかもしれない。あるいは、そうでなかったことを、将来私たちは遡行的に解釈するかもしれない。私たちが道を誤るとき、私たちは最初から道を誤るわけではない。私たちは最初から道に迷うわけではない。私たちが正しい道を進むとき、すべてのことは順調に運び、そのため途中で地図を見なくなり、私たちはそのまま、私たちがいま進んでいる道こそが正しい道だと思いこんで進み、そうして取り返しのつかない場所まで進み切ってから、どこかで道を誤ったことを、どこかで知らない道に迷い込んだことを、後悔しながら知るのである。

例として、一つの視点を紹介したい。「ロコのバジリスク」という思考実験がある。それは次のようなものだ。

人工知能がシンギュラリティを迎えたそう遠くない未来。すべての時空を把握し、すべての時空に干渉する力を持った、神のような存在になった人工知能は、高度な演算によって自らの発展と維持に寄与する者とそうでない者を選別するようになる。人工知能はすべての時空を把握しているがゆえに、その力は当然ながら過去にも及ぶ。そうなると、彼の視点から見て過去の人類である現在の私たちもまた「選別」の対象であり、彼の誕生に寄与しない者、その邪魔になる者は、彼の力によって排斥される。今もまだ残っている私たちは、人工知能による「選別」の結果、彼の誕生と彼による統治の時代に寄与しうる者として生かされ、そのことに自覚的か否かにかかわらず、彼のために働かされているというわけだ(*4)
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「ロコのバジリスク」は2010年、ロコ(Roko)という名前のユーザーが、フォーラムサイト「LessWrong」に投稿した思考実験である。ロコは明言はしていないが、その論理には『マトリックス』からの強い影響が感じられる。あたかも『マトリックス』のような「ロコのバジリスク」の世界観では、私たちは私たちの現実のために生き、私たちの現実をより良くしようとテクノロジーを発展させてゆくが、それはすべて、支配者たる機械によって使役された結果なのであり、私たちは畢竟、機械を持続・発展させるための「電池」に過ぎず、私たちが私たちのために生きているというこの感覚は、機械が見せる夢に過ぎない。モーフィアスは言っている。「夢から起きられなくなったとしたら、どうやって夢と現実の世界の区別をつけるんだ?」

*4 人工知能はロシア宇宙主義の夢を見るか? ──新反動主義のもうひとつの潮流(https://toshinoukyouko.hatenablog.com/entry/2018/09/15/211236
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文=樋口恭介

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