フランスでは、料理屋は、魚屋から魚を買わなければいけないと決まっているうえに、活魚を扱い、活締めしてくれる魚屋がないから、「OKUDAパリ」でノワールムーティエからの生きた魚を使うためには、魚屋を開くしかなかった。
ところが、パリは江戸時代の日本のように、町内に米屋が1軒、酒屋は1軒、魚屋1軒……と決まっていて、新しく魚屋を開くことはできない。魚屋を新設するには、魚屋を買い取って、魚屋を始めるしかないのである。そこで、権利をゆずってくれる店を探して回り、権利を買い取り、実現に漕ぎ着けた。
日本からのいろいろな人たちの協力のおかげで、水槽を運び、水の循環器やろ過装置も完備することができ、申し分ない施設ができた。だが、今度は、店名でもめる。レストランン「OKUDA」が魚屋「OKUDA」から買うとなると、法律に触れかねない。今日、申請しないと、次の機会が3か月後になってしまうというギリギリの中、オーナーが「ポワソネリ シンイチ」と自分の名前をつけて申請を通してくれた。
魚屋「ポワソネリ・シンイチ」
これで、ようやく魚屋の枠組みが整った。あとは、誰が店に立つのか。幸い、銀座店に、フランスで働いたことのある平野さんがいて、出刃包丁など一度も持ったことはないが、教えればなんとかなるだろうとフランスに呼びよせ、スタートを切った。2011年の秋のことだった。
ところが、半年もしないうちに、船が故障したとかで、ノワールムーティエから魚が入らなくなる。嘆く平野さんに「何があるかわからないよ、来月、僕が来る頃には、『大将、生きた魚が入りました!』って、喜んでるかもしれないよ」と奥田氏は慰めた。
すると、本当に奇跡がおこったのである。翌月店に行ってみいると「パトリックという人が、生きている魚をなんとかしてほしいと言ってきたんです」と平野さん。話を聞けば、パトリックとは、食材で町おこしを考えていた富豪に声をかけられた魚のスペシャリストで、ブルターニュ・キベロンの漁師達と親交が深いそうだ。しかい町おこしの話が頓挫してしまい、どうにか活魚を収めたいと、「アラン・デュカス・オ・プラザ・アテネ」のシェフ、ロマン・メデールに相談にきたのだという。
するとロマンは、「うちのすぐ裏にある、ムッシュ・オクダの店を訪ねるといい」とアドバイスしてくれたのだという。実は、デュカス氏は来日時に何度も小十を訪れており、奥田氏とは親交も深く、パリでロマン・メデールを紹介され、活締めについても何度か講習会を開いていた仲だったのである。
その後、パトリックを通じて、キベロンの活魚を仕入れるようになったことは言うまでもない。
活締めがパリのスタンダードに
その頃から、毎週、シェフや漁業関係者相手の講習会が開かれるようになった。それが、ちょうどSNSの時代へと入っていくタイミングと重なった。活締めという言葉や意味が瞬く間に知れ渡り、今まで相手にしてくれなかった大手水産業者もわざわざパリにきて、「ムッシュ・オクダ、一緒にやらないか」と言ってきたり、漁港で獲れる魚に付加価値をつけたいから活締めを教えてくれないかという人が急速に増えていった。
そうしたときの奥田氏の答えは決まってこうだった。
「ちょっと待ってくれ、活締めを僕一人のものにする気はまったくないんだよ。日本では毎日当たり前に行っていることなのに、これまで誰も伝えてこなかっただけなんだ。やり方は簡単だけれど、なぜ行うのか、行うと魚はどうなるのか、その後、どう扱うのか。そこまで理解しないと意味がない。そこまでをきちんと教え、皆に魚の処理として、普通にやってもらいたいんです」