パリで魚屋も開く。銀座小十店主の「日本料理を世界食にする」挑戦


その後、平野さんは結婚して退職し、もう一人いたスタッフも3年のビザが終了して帰国。OKUDAのスタッフが空き時間に店に立ったが、とてもそんなやり方でできるほど魚屋や甘くない。

そんな折、パトリックが魚屋を開いて独立したいというので、「なんでも相談に乗るから、がんばれよ」と背中を押し、ポワソネリ・シンイチは役目を終え、パトリックが新たな魚屋を開いた。

気付けば10年のときが流れていた。もはや、パリでは、高級魚は活締めがスタンダードだ。ゼロが大きなイチになったのだ。コロナ禍もあり、現在OKUDAパリは店を閉めているが、状況をみて、再開する予定だという。日本料理を世界食へという奥田氏の壮大な天命は、確実な足跡を残したと言えよう。

子供たちに「和食」との接点を


37歳の青年だった奥田氏も、壮年と呼べる50歳を迎え、料理人として、総仕上げの時期に入っている。

これからの10年、20年へ向けての野望や夢を尋ねると、「今はありません。あるとすれば、何かに導かれるのかなと、思うのです。そのときにはこれまでの経験の中から培ったことを存分に生かしていきたいな、と。例えば、料理にとどまらず、器や数寄屋造りなど、広く伝統工芸の存続であるとか……」。熱い心を持ち続ける奥田氏であるから、また、大きな天命がふってくるに違いない。



実は、10年ほど前から、何人かの日本料理の料理人と「和食給食応援団」を立ち上げ、小学校の給食を通じて、和食の骨格を教え、豊かな食文化や季節の移ろいを大切にする心などを伝える活動を続けている。

「日本人でありながら、ハンバーグ、カレー、ラーメン、回転ずしなどが日常食であり、本来の和食がまるで異国の料理かのように、遠い存在になっている今の子供たちのために、なんとか、給食で、和食を知ってもらおう、好きになってもらおうというための応援団です。

本来は家庭で学ぶべき、箸の持ち方からだしの味まで、給食で知るというのは悲しい現実ですが、家庭での教育を待っていたら手遅れになります。格差社会が進むなか、給食の果たす役割は年々大きくなっています。そこで、栄養士さんたちが作りやすいようなレシピに落とし込むのが、我々の役目です。時には、小学校へ出向いて実演や講演をすることもあります。長く続けることで初めて成果のでる取り組みですから、ライフワークとして続けていきたいと思っています」

世界に本物の和食を広げることに命をかけてきたと同時に、足元である、日本の子供たちに、本来の和食に触れさせる。この両輪を回し続けることで初めて、遠い先の未来にまで、和食を文化遺産として残すことができるのであろう。

連載:シェフが繋ぐ食の未来
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文=小松宏子

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