「修理する権利」は新しい社会モデルのヒント

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作る人と食べる人は別ではない


ウォズニアックのようなハッカーは、「企業が修理する権利に反対するのは、利用者に支配権を奪われるのを恐れているからだ。自分の買ったコンピューターが自分のものか企業のものかを考えてほしい。正しいことを始める時が来た」と、利用者が企業に支配され自由が奪われていると警報を鳴らす。

工業時代は資本を持った企業が機械を導入して工場で物づくりの専門化を推し進め、作る側と消費する側を分離してしまい、プロとアマが明確に区別されるようになった。工業製品ばかりか、家庭で作っていた料理はフランス革命後に王侯貴族に仕えた料理人、誰もが演奏して楽しんでいた音楽もレコードなどが出て来ると音楽家、というようにプロが出現して、近代はありとあらゆる分野で専門化が進んだ。

こうした生産手段を持つ側が専門化し、持たない側が消費者になるという非対称な構造は、マスマーケットの時代には効率よく機能したが、次第に大量生産の限界も指摘されるようになってきた。

1975年にハウス食品がインスタントラーメンのCMで使った「私作る人、僕食べる人」というコピーは、こうしたプロとアマの対立構造を前提にしているばかりか、作る人=女性、食べる人=男性というステレオタイプの性別役割分担を是認して固定化すると大いに批判された。

ネット時代になればSNSを介して、ピコ太郎のように大手のエージェントを介さずに、自分の工夫でネットを使って世界に影響力を持ったコンテンツを発表する人も出て来る。いまや高価な機器を持っていなくとも優れたアイデアがあれば、プロも顔負けの作品を作ることが可能になり、従来のプロとアマといった差がはっきりしなくなりつつある。

当初はパッケージの封を切ったら返品もできず、改変もできないとして強気で販売していたソフト会社も、ネット時代にはプロトタイプ(β版)をタダで配って、利用者に不具合(バグ)を発見してもらう方式を次第に取り入れるようになってきた。高額な完璧を期したソフトでもバグは出るし、利用者にテストしてもらえば市場のニーズ調査や事前PRにもなる。

フリーソフトウェア運動は次第にオープンシステムの流れを作り出し、ウィンドウズに対抗するようにリナックスのようなフリーOSが市場で受け入れられ、ソースコードを公開したりカスタマイズを許容したりするソフトも出てきた。


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ビジネスにおける生産者と消費者、プロとアマの非対称な関係は、広く言えばパブリック(公)とプライベート(私)の関係でもある。これまで国や自治体が一方的に決めて提供していたインフラや法律などの制度も、いままでひたすら受益者であった国民や一般人が参加して変えていく裁判員制度のような試みも考えられるだろう。

修理する権利は、一見オタクハッカーのエゴを主張しているように思えるかもしれないが、ネットで世界中がつながった時代には、これまで当たり前と考えられてきたビジネスやサービスや社会制度の前提となっていた上下関係や非対称な立場を見直して、全員がさまざまな方法で参加できるもっと多様性を尊重した社会を実現するきっかけになるかもしれない。

連載:人々はテレビを必要としないだろう
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文=服部 桂

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