東京五輪の難民選手団、祖国を逃れたアスリートたちの物語

東京五輪2020には29名の難民アスリートが参加している(GettyImages)


両親との再会を原動力に


2016年リオ大会で初のIOC難民選手団を構成した10名のアスリートの一人、アンジェリーナ・ナダイ・ロハリス選手にとって、この選手団でオリンピックに出場するのは二度目です。

南スーダン出身の中距離ランナーである彼女の東京大会での目標は、1500メートルトラックレースの準決勝に進み、リオ大会より良い結果を残すことです。アンジェリーナ選手は、2017年にロンドンで開催されたIAAF世界陸上競技選手権大会にて、この距離の自己ベストタイムを更新しました。

大会の合間にはトレーニングや競技を続けながら母となり、カナダのオタワで開催された「ワン・ヤング・ワールド・サミット」にも参加しました。このサミットは、若きリーダーたちが、世界が直面している課題について話し合うグローバルなフォーラムです。



彼女は2002年に叔母と一緒に、内戦によって荒廃した南部スーダン(現:南スーダン)から逃れ、紛争からの保護を求めてケニア北部のカクマ難民キャンプに身を寄せました。以後、離れ離れになり会うことができていない両親との再会が、彼女を突き動かす原動力となっています。

「すべてが破壊されました」と、故郷の村が内戦によって受けた影響について、彼女は2016年に国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に語っています。

ケニアでの高校時代、走ることが得意だったアンジェリーナ選手は、テグラ・ロルーペ平和財団に見出され、ケニアの首都ナイロビ近郊でトレーニングを受けるようになりました。同財団の創設者テグラ氏は、アフリカ出身のアスリートとして初めてニューヨークシティマラソンで優勝し、その成功をもとに難民キャンプから優秀な選手を選抜し、彼らのオリンピック出場の夢を支援しています。

アンジェリーナ選手は、トレーニングの合間を縫って、スポーツヒューマニティ財団の活動の一環として若いアスリートへの指導も行っています。

移住先で労働しながら夢見たオリンピック


オリンピック候補選手のエルドリック・サミュエル・セラ・ロドリゲス選手がボクシングから学んだのは、尊敬、共感、謙虚さ、そして規律です。

ベネズエラの貧困地区で育った彼は、戦い方、そして身を守る方法を学ぶため、9歳の時に自宅から1ブロック離れたボクシングジムに入りました。

その後彼は、15〜16歳の年齢グループの時に初めてジュニア全国大会で優勝し、18歳でボクシングのベネズエラ代表チームに参加するほどのボクサーへと成長しました。

2014年に母国ベネズエラが経済的に破綻し、貧困と暴力が蔓延したとき、彼は家族や友人を捨ててトリニダード・トバゴに安息の地を求めるという苦渋の決断をしました。

彼はその間も、セメントを混ぜる、ペンキを塗る、草を刈るといった肉体労働をして生き延びながら、常にオリンピックに出ることを夢見ていました。

IOC難民アスリート奨学金の受給者となったことで、彼はオリンピックへの希望を再びつなぐことができました。

「このプログラムによってオリンピックに参加する機会を得た私は、自分自身のためだけではなく、同じように家や夢を捨てざるを得なかった世界中の何百万人もの人々を代表して闘います」とロドリゲス選手は語っています。

今大会に、「IOC難民選手団」(EOR:équipe olympique des réfugiés)の名のもと出場している選手たちにぜひご注目ください。そこにいるのは、オリンピック旗をかかげ難民選手団として行進するまでに、途方もなく大きな困難を乗り越えてきた選手たちです。


(この記事は、世界経済フォーラムのAgendaから転載したものです)

連載:世界が直面する課題の解決方法
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文=Johnny Wood , Writer, Formative Content

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