多くのファンを獲得できた要因は2つある。まず、野球観戦にプラスアルファの楽しみを提供したこと。例えば球場でしか飲めないオリジナルのクラフトビールを販売したり、観客に青く光るスペシャルグッズを配って試合後にライブさながらの演出をするイベントを開催したり。「野球のルールを知らない人が初めて来ても楽しめる興行にしたかった。最後には筒香(嘉智選手、2019年にメジャーリーグ移籍)のホームランで涙して、野球を好きになって帰ってもらえれば」と、数々の仕掛けをした。
もうひとつは、それらの仕掛けをアジャイルで進化させたこと。一般にインターネット企業はまずプロダクトをリリースして、ユーザーの反応を見ながら修正して完成度を高めていくが、この手法をプロ野球興行にも適用した。
「KPIを設定してお客様の熱量をデータで測りながらPDCAを回しました。ファンの反応に触発されてサービスを改善したり、チームが触発されて素晴らしいパフォーマンスをすれば、またファンが反応してくれる。このサイクルが自律的に回り始めて観客動員が年々増えていきました」
年間240万人の動員数を見込む横浜スタジアム。「バーチャルハマスタ」などリアルと連動させた新しい観戦体験も提供。(Kyodo News/Getty Images)
ただ、人気球団になることが、そのまま地域の公共財になることを意味するわけではない。ベイスターズが地域に支えられる球団になった背景には、球場との一体運営がある。
横浜スタジアムの運営は、横浜市などが出資する第三セクターの運営会社横浜スタジアムが行っていた。DeNAは球団買収後から運営会社と協力体制を築き、「コミュニティボールパーク化構想」を打ち出す。試合開催日にゲートを開放して球場外から練習風景を見られるようにした「DREAM GATE」の設置も、この構想の一環だ。
さらに16年に球団が友好的TOBを実施して運営会社の経営権を取得して、球団と球場の一体運営を始めた。総務省のキャリアだった岡村が、DeNA創業者の南場智子に引き抜かれて球場の社長に就任したのはその直後。そして打ち出したのが「横浜スポーツタウン構想」だった。
「コミュニティボールパーク化構想で目指したのは、野球を知らない人にも気軽に遊びにきてもらえる開かれたスタジアムです。それをさらに発展させて、スポーツを軸に人と街全体を元気にしていくのが横浜スポーツタウン構想です」
コミュニティボールパーク化構想が球場と街の境界線をなくす試みだとしたら、横浜スポーツタウン構想は、球場を拡張して街全体に溶け込ませていく試みといえる。例えば以前から夏になると、球場のある横浜公園で公式戦のライブビューイングができるビアガーデンイベントが開催されていた。17年からは、同様のイベントを百貨店の屋上ビアガーデンでも展開した。また、いつもは球場内で行う恒例の「勝祭」を、18年は近隣の日大通りを歩行者天国にして開催。2日間で2万5000人が来場した。