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2021.07.19 12:00

大谷翔平が思い出させてくれる、自己挑戦の大切さ

大谷翔平 / Getty Images


投手と打者はそれぞれの役割に専念するというトレンドは、1920年代にベーブ・ルースから始まり今日までに確立された。大谷は、それを破壊したのだ。
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私は、自分の技量を越え、期待されている枠組みを破る人を見るとわくわくする。もしかしたら、大谷の大リーグでの遺産としてバッティングケージで訓練をする投手が増え、米野球界が切実に必要としている攻撃面の改善がもたらされるかもしれない。

ア・リーグのように指名打者に頼れないナ・リーグでは現在、投手は打率1割5分を達成できればかなりの強打者だと考えられている。大谷は6月、3割9厘の打率を記録し、13本塁打・23打点を出した。大谷はまた、先月の月間最優秀選手(MVP)に輝く過程において5試合で先発登板し、33回の三振を記録し2勝を収めている。


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私たちの社会では、さまざまな分野で専門化が評価されている。自分の専門を作ることで能力を最大限発揮できると考えられていることがその背景にある。

野球では、投手がまるで投球マシンに見えかねないほど投手の専門化が進んでいる。最大速度の球を投げるための背の高さと体格の良さが必要とされ、雇用主は選手の投げる方の腕を守ることに熱心だ。

大谷は一つのことに集中しなければ、けがによってその驚異的かつ多彩な資質の全てを危険にさらすと主張する人たちも存在する。しかし私は、人間の本質はそのようなものだとは思わない。人は、新たなスキルを習得するために自分の能力を試したがるものだと私は思う。

私自身と私の職業である執筆業を例としよう。私は、大半のライターが講演者になろうとしないことを理解しているし、ライターは非常にシャイな性格、あるいは人間嫌いな人だと考えている人がいることから、大半のライターは講演者として働くことを思いとどまらされている。

しかし私は、パブリックスピーキングを試してみたいと考えて上達のためにコーチを雇った。その結果、私は米国内でそこそこの講演業を構築することができ、そのことを誇りに思っている。壇上に上がる際につまづいて腕の骨を折らない限り、私は講演業と同様に執筆業を続けていく計画だ。

打者が首を振り、時には信じられないとばかりにほほ笑むことさえあるフォークボールを投げる大谷の半分くらいスピーキングを上達させることが、私の唯一の願いだ。

翻訳・編集=出田静

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