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2021.07.20

欧州で注目のスタートアップ 「Believe」と「Klarna」の勝ち筋

毎年パリで開催されるテックカンファレンス「VivaTech」(Chesnot/Getty Images)


とはいえ、Klarnaのここまでの成長は、決して楽な道のりではなかった。

Klarnaはスカイプやスポティファイを生んだスウェーデン生まれのサービスだが、Siemiatkowskiの両親はポーランド人で、「典型的な移民の子供。世の中に対してはフェアじゃないという感覚が常にあった」という。ビジネスの本を読み漁り、地元のラジオ局に電話をしてビジネスアイデアを伝えようとしたこともあった。

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Klarnaの創業者でCEOのSebastian Siemiatkowski

医師になってほしいという父親の反対を押し切って選んだのは、ストックホルム商科大学への進学だった。「何をするんだ?」という父親からの問いに対し、「CEOになると断言した」そうだ。在学中にはさまざまなアルバイトをこなした。共同創業者と出会ったのも、バイト先のバーガーキングでだった。

卒業後、他の学生がロンドンの金融機関を目指すなかで、SiemiatkowskiはKlarnaにつながるアイデアを育んだ。

「当時、オンラインショッピングではデビッドカードが主流だった。でも消費者は、商品を試してから支払いたいはず。後払いサービスはこの要望に訴求した。満足して購入してくれる顧客が増えることは、ショップにとってもいいことだと思った」

インキュベーションセンターでプレゼンしたところ好評で、ぜひ進めるべきとアドバイスされた。迷ったが「6カ月精一杯やってみよう」とリスクをとることにしたのだ。

その後、エンジェル投資家より6万ユーロの支援を獲得。優秀なエンジニアを雇い最初のバージョンを完成させた。こうやって生まれたのが、Klarnaのサービスだった。

だが後払いサービスが受け入れられ、会社が軌道に乗ったと思った頃、Klarnaは大きな壁にぶちあたった。組織の人員が増え、出資により幹部を雇い入れることはできたが、社内で「政治」が生まれたのだ。

「素晴らしい事業計画があったのだが、実行する体制が整っていなかった。減速を肌で感じながらも、意思決定が遅く、イライラを感じていた」

こうSiemiatkowskiが語るように、この状態が2011年頃から数年続いたという。2015年には共同創業者も離れていった。

この危機に際して重要な支えとなったのが、直前に出資が決まったシリコンバレーの名門VCであるSequoia Capitalの存在だった。「欧州には急速に成長するテック企業は少なく、まともなアドバイスはもらえなかった」ことから、米国シリコンバレーのノウハウは有用だと考えた。

社内の体制が整っていないなかで、他のVCは事業計画をどんどん先に進めようとする。だが、それに対してSequoiaは否定的だった。

「Sequoiaとは12年の付き合いになるが、この間、IPOを迫られたことはない。長期的なオポチュニティは何か、どうやって成長するかの視点を持った素晴らしいVCだ」とSiemiatkowskiは評価する。

結局、再度事業を見直した結果、たどり着いたのが、現在注力している個人向け銀行業だったという。

この個人向け銀行業は、2015年に事業計画化し、3年かけてローンチの準備を進めた。「あるとき、社内が変わった。動き始めたと感じた」とSiemiatkowskiは言う。優秀な人材が入社するようになり、意思決定も迅速になった。

学生時代の「CEOになる」という父親への宣言を早期に実現したSiemiatkowskiだが、経営の難しさも経験した。

「評価額や損益計算書などはスコアボードに過ぎない。試合の得点数だけ見てサッカーチームを判断できないのと同じ。どのように戦っているのかが重要だ」

そしてSiemiatkowskiは、「いま面白くてたまらないことは、起業家として既存業界をディスラプトすること、それとメンバーが生き生きとして挑戦できる環境をどうやって構築するのかの2つだ」と力強く言い切った。

文・写真(人物キャプチャ)=末岡洋子

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