「何をするために生まれてきたか」
面白いことに、日本が誇る近代文学の祖のひとり、夏目漱石ですら、私たちと同じような悩みを抱えていました。
彼の生い立ちは少し複雑で、生まれてすぐに2回も里子に出され、9歳のときには養父の女性問題により養父母が離婚。生家の夏目家に戻りますが、21歳になるまで夏目家には復籍できませんでした。一説によると、漱石は効少時、実の両親のことを祖父母だと思い込んでいたといいます。
こうした家庭環境も影響してか、漱石は成長したのちも「自分はいったい、何をするために生まれてきたのだろうか」という空虚さに悩まされるようになってしまったのです。
漱石は最高学府の帝国大学(のちの東京帝国大学)英文科に進み、卒業後は高等師範学校の英語教師になりました。いわゆるエリートです。しかし、文学を学んでも、ちっともわかったという実感がなく、仕事にもまったく興味が持てない。
漱石の晩年に書かれた自伝的小説『道草』では、主人公・健三が、「御前(おまえ)は必竟(ひっきょう)何をしに世の中に生(うま)れて来たのだ」とストレートな言葉で自分の懊悩(おうのう)を自問していますし、大正3年に学習院でおこなわれた講演の収録では、こう自身のことを語っています。
『私はこの世に生れた以上何かしなければならん、といって何をして好いか少しも見当がつかない。私はちょうど霧の中に閉じ込められた孤独の人間のように立ち竦んでしまったのです』(夏目漱石『私の個人主義』より)
「何をするために生まれてきたのだろうか」
「何をしていいのかわからない」
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夏目漱石のこうした懊悩は、現代でも多くの人が抱える典型的な悩みのひとつでしょう。日本を代表する文豪、夏目漱石であっても、現代に生きる私たちと変わらない悩みを持っていたのです。
心の不安を生み出す「他人本位」
私たちはあれこれ思い悩んでも、成長するにつれ、現実との折り合いをなんとかつけていくものです。
思ったような仕事に就けなくても、「まずはこの職場で認められることだ」と心を切り替えたり、「3年ここで頑張ったら転職しよう」と次の目標を定めたりできます。
そうするうちに、最初は嫌々だった職場にやりがいを見出して、新たなやる気に燃えることだってあるでしょう。
あるいは、家事や育児ばかりに忙殺されて、「自分の人生っていったい何なんだろう」と思ったとしても、家族や子どもの笑顔を見ているうちに、「まあいいや。自分のできることを頑張ろう」と思えたりします。
ところが漱石は、青年期になってもずっと、「自分は何をするために生まれてきたのだろうか」という悩みに振り回され続けました。