北野:研究すること、学ぶことは楽しいですか?
荒磯:考え続けるのはしんどいですよ。ただ、振り返ると、自分は考えることで成長できました。「勝った、負けた」だけでなく「いまこれをやるんだ」「次はあれをやろう」と決めてやり抜くことがいまの力士にも必要だと思います。15歳、18歳から考える能力をしっかり教えることで伸びるはずです。
とはいえ、自分は22歳ぐらいまでは勢いだけの相撲でした(苦笑)。でも、そこで限界が来た。場所で2桁勝てないし、上位に行ったらはね返されます。そのときの横綱たちは、もっと考えてきていましたから。
北野:面白いです。相撲の世界でも、やはり横綱まで上がった方は全員考え抜いていますか。
荒磯:超考えまくっています。よく「考えすぎてダメになった」というと思うんですが、そんなことは絶対ないです。考えすぎていいんですよ。考える力がものすごい大事。それをずっと言い続けています。
インタビューを終えて
勝ったときこそ、さらに考え抜け
(元横綱・30代・男性)──あなたがもし帰り道にぷらっと立ち寄った書店で、雑誌の「職業欄」にこう書かれている人物を目にしたら、きっと目を疑うことだろう。あまり考えたことがない肩書であり、接することのない人生でもある。
今回対談させていただいた荒磯親方は、まさに横綱・稀勢の里関として日本の頂点に立っていた人物だ。しかし親方の口から出た「勝つ力士」としての職業の本質は少し意外なものだ。それは「思考力」であり「科学」という言葉だった。
いわく、横綱対横綱──その両雄が土俵上で勝負を決するとき、最後に結果を分けるのは「思考量」と「科学的視点」だという。
アマチュアスポーツ界でいわれるような「考えすぎてダメでした」は真っ赤な嘘で、横綱と呼ばれる人物たちは、すべからく「考えに考え抜いている」というのだ。こう来たら、こう返す──思考シミュレーションを何千、何万パターンと繰り返すだけでなく、当たり前と思われているトレーニング方法に疑問をもち、メンタル面も含めてあらゆる角度からアプローチを行う。そしてこれはビジネスも同じだろう。超一流の起業家は皆「頭がちぎれるほど考え抜いている」からだ。
しかも彼らは「負けたときだけ何かを変える」ではなく「勝ったときも切り替えないといけない」ということを本能レベルで理解している。なぜなら、負けたときだけ変える──それは世の中が間違っている、という前提に立つ非科学的態度だからなのだ。勝っても負けても変える。まるでそれは「KAIZEN」カルチャーのように生き残りが激しい世界でこそ使われる、生物が生き残るすべだろう。
相撲界という、類いまれなる才能が完全に開花して初めて勝てる世界。だからこそ説得力をもつ荒磯親方の「思考力」という言葉。弱肉強食の世界から「和」、つまり後進を育てる世界に飛び込む親方が次に思考力を発揮するのはどの領域なのか? 私は取材を終えて、そんなことを考えていた。
「職業を通じて、未来を生み出す力を養う」。これがこの連載での私のミッションである。優れた才能を自己の職業に生かす人物たちには、必ず「独自の世界観」と「習慣」がある。それを築き上げたプロセスを知りたい。私の役割はそれを洞察し、ときに憑依(ひょうい)し、世の中に還元することにある。私は「眼」であり「耳」である。働く人々を道(どう)の世界を通じてつなげる媒介である。未来へ向かう膨大なエネルギーを感じるような、力強い連載にしたい。
荒磯 寛(元 稀勢の里 寛)◎1986年、茨城県生まれ。第72代横綱。中学卒業後、鳴戸部屋に入門。2002年3月場所で初土俵、04年11月場所で新入幕、四股名を萩原から稀勢の里に改名。12年1月場所で大関、17年3月場所で横綱昇進。19年1月場所で現役引退。生涯戦歴は800勝496敗97休(101場所)、幕内優勝2回、幕下優勝1回。引退後は田子ノ浦部屋付きの荒磯親方として後進の育成にあたる傍ら、大相撲の解説者として活躍。20年4月より早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程1年制で学んだ。
北野唯我◎1987年、兵庫県生まれ。作家、ワンキャリア取締役。神戸大学経営学部卒業。博報堂へ入社し、経営企画局・経理財務局で勤務。ボストンコンサルティンググループを経て、2016年、ワンキャリアに参画。子会社の代表取締役、社外IT企業の戦略顧問などを兼務し、20年1月から現職。著書『転職の思考法』『天才を殺す凡人』ほか。近著は『内定者への手紙』。