暗闇に落ちそうな人間を絵本がひっぱりあげるとき 『ぜつぼうの濁点』

Libertad Leal Photography/Getty Images


このコラムの筆者である私自身は、落胆したり、自暴自棄になったりするのは、人の身体のモヤモヤを処理するための機能なのだろうとよく考える。落胆が、現実の行動を変えるきっかけになることはあるし、自暴自棄な時には、どうにもできない感情を懸命に発散している感じがするからだ。

しかし、どちらも行き過ぎると生活に支障をきたす場合がある。だから、そんなのが鎌首をもたげてきたら、早めに対処できた方がいいとも思う。

濁点は実際、「主から遠ざかる」という対処をしてみたわけだ。少なくともその選択は、「濁点と主」という2人の間の満たされなさに限っては、すっきり解決に導いた。

ところが、新しいモヤモヤが生まれてしまった。「ぜつぼう」の元を、よかれと思って離れた濁点には、新たな所属先がまったく見つからなかったのだ。「ぜつぼう」などという縁起の悪い言葉に仕えた経歴が、それを邪魔した。

濁点は、心ない言葉をかけられ、貶められる。挙句には、もっと大きな危機に瀕することにさえ、なる。

「こんな下り坂、どこまで続くんだ」と叫びたくなるくらい、筋書きに救いがない。読んでいる私たちの方も、このあたりまで来た頃には、もはやどうしようもないところまで気持ちが追い込まれている。

両手で絵本をつかんだまま、体にぎゅうっと力が入って、無意識に小さく縮こまっているかもしれない。息だって、ほとんどしていない。

緊張と不安。死の予感が、近くにある。

抗いがたい幸福感に、突如のみこまれる


しかし、クライマックスが訪れた瞬間に、私たちの心身はひと息に開放される。

大きな安堵とともに、たっぷりの空気が肺に流れ込む。全身の血流がよみがえり、視野は瞬く間に光で満たされる。ゾワゾワと上半身の毛穴が開く音を、あなたは耳元で聞いたことがあるだろうか?

この絵本は、濁点とともに暗闇の深みに足をとられた人間を、クライマックスの場面だけで一気にひっぱりあげる。その時、私たちの体中に、幸福感をもたらす脳内物質が駆け巡る。

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Getty Images

これほどまでに顕著な多幸感を運んでくる一冊を、私はこの絵本の他にそう知らない。どんなクライマックスだと、こんな反応が起こるのか。知りたいあなたは、ぜひ絵本を手にとってほしい。

繰り返しになるが、満たされなさを感じても、私たちはときに、すぐの解決を望めないことがある。それならいっそ、絵本で先回りして、どん底を疑似体験してしまうのも1つの方法だ。暗闇に落ちそうな人に向けて、あえて本書をすすめる理由が、ここにある。

底の底まで潜りきって、ぺろりと舐めてきたとしても、絵本は読者を放っておかない。必ずグイッとひっぱりあげて、明るい水面に戻してくれる。それが絵本のいいところだと、私は思っている。

連れ戻される水面が、太陽さんさんなのか、ほの明るい霧の中なのかは、わからない。けれど、どんなに暗い作品も、最後にはその作品なりの光を見せて終わる。

イメージの中で、そんな風に落ちたり上がったりして、最後には絵本をパタンと閉じる。その時には不思議なことに、絵本を開く前より余裕が生まれていることが多い。

空想の中で、仮に満たされるということ。それが、暗闇に足を踏み入れないよすがになることもある。

連載:絵本の遠眼鏡
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文=あまさわあぐり

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