リクルートへ帰任後もプロジェクトに関わり続けた杉山さんは、6月に無事、「自分ゴトにするために 共感から始めるカーボンニュートラル」という報告書をまとめあげた。そして彼・彼女たちが紡ぎ出した思いは政治の中枢に届くこととなった。
本気で議論した言葉であれば、ちゃんとベテラン世代にも国にも届く。その手応えを杉山さんは感じたという。
「日本はワイングラス型の人口ピラミッドをした縦社会で、世代を超えて話し合える場はまだ少ないです。とりまとめをご報告した後の梶山大臣は、翌日の成長戦略会議で『最近、若い方たちとも議論をした。そのときに言われていたことだが……』と若手ワーキンググループの報告内容を引用してくださったり、今後も若手が議論する機会をつくっていこうと省内に声をかけてくださったりしました。このような政策検討プロセスにおいても、若者が自分たちの考えを表明し、それをきっかけに世代を超えた対話が始まっていくといいなと思います」
ワーキンググループのオブザーバー的な立ち位置で座長を務めた塩瀬准教授は、今回の取り組みの意義について次のように話す。
「『失われた30年』という決めゼリフは、もはや20~30代の若者が鼓舞される表現ではありません。2050年に責任世代として活躍が期待される彼ら彼女ら自身が、喧々諤々の議論を尽くしたことに大きな意味があります。30年後を見据えた社会のシナリオを自分ごととして考え抜いたビジョンだからこそ、同世代の若者を鼓舞できる表現につながったのだと思います」
『論語と算盤』経営塾に参加した学生時代
チームを先頭でぐいぐい引っ張っていくタイプではないように見える杉山さん。
地に足をつけ、参加メンバーと同じ視点で「どうすればみんなの意見が出るか、みんなが参加しやすい環境をどうつくるか」を考えること、そうして出た意見をちゃんと国に届けることを大切にしているように感じられた。このような考え方はどのように培われたのか。
杉山さんはもともと、「社会をつくれる人になりたい」という思いが強かった。
大学時代は日中の大学生でディスカッションする団体に入り、大学3年生のとき代表を経験。コモンズ投信の渋澤健氏がその団体のスポンサーをしていた縁から、大学4年生のとき「『論語と算盤』経営塾」に参加した。ビジネスパーソンや経営者に混じって、渋沢栄一の書籍を読み解いたという。
「私の価値観をつくってくれた場でした。それまでは資本主義に懐疑的だったのですが、『一滴一滴の滴水が集まれば、大河になる』という日本初の銀行をつくったときの渋沢栄一の思想は、社会に価値を生み出すための持続的な方法の一つがビジネスなのだと教えてくれました。思考が変わったと思います」
そして社会を変える力をつけたいとリクルートキャリアへ進んだ。事業開発のスキルや、事をなすときに旗印を掲げられるマインドセット、社会を成り立たせている「人」というものを学びたいと考えた。人に携わることを事業領域とし、人を大切にしている組織なら、こうした考え方が身につくと思ったのだという。
実際、リクルートキャリアで学んだ仕事の向き合い方は、「個の尊重」という価値観をベースに、一人一人が当事者であることを大切にしたものだった。誰もが自分らしい行動や声を上げられる環境をつくりながら、新しい未来に向けて歩を進めていく協働のあり方やスタンスは、経済産業省で新しい取り組みを進めるときにも非常に役立ったそうだ。