町田貢元駐韓公使によれば、事件の発生を最初に知らせたのは金大中氏のボディーガードだった。日本政府当局とつながりがないため、元ソウル特派員のマスコミ関係者に連絡。マスコミから外務省に一報が入り、それから警察に頼んで非常線を敷くというまずい対応だった。町田氏は「当時は金大中なんて誰も知らない。警察が金沢大学の中(なか)さんですか、と勘違いするほどだった」と振り返る。
東京・九段下の「ホテルグランドパレス」(Manuel Ascanio / Shutterstock.com)
ただ、日韓関係筋によれば、ホテルグランドパレスはKCIAが活動する場所としては印象が薄いという。同筋は「東京中心部にあるが、価格はリーズナブル。金大中氏は支援者の縁で宿泊したが、KCIAがマークするようなVIPの宿泊客は多くなかった」と語る。むしろ、新宿の京王プラザホテルや、米国大使館そばのホテルオークラの方が印象に残っているという。
京王プラザホテルには1997年冬に来日した北朝鮮の黄長燁朝鮮労働党書記(当時)が宿泊した。当時、KCIAの後身、国家安全企画部(現・国家情報院)は黄氏の韓国亡命の意思を確認していた。当初、自由に往来が可能な日本で亡命を受け入れることを計画し、大勢の要員が黄氏の動向をマークしていた。
だが、北朝鮮も黄氏の亡命を恐れて、朝鮮総連関係者らと協力して黄氏の身辺警護を強化した。黄氏は常に二重三重の人垣に囲まれて移動する状態に陥り、安企部は日本での亡命敢行を断念した。結局、黄氏はこの後訪れた中国・北京で韓国大使館に逃げ込むことに成功した。
また、ホテルオークラには1991年と92年の2度、来日した幼い頃の金正恩朝鮮労働党総書記と母、高英姫氏らが宿泊した。金正恩氏らは偽造のブラジル旅券で来日したという。当時の安企部は日本の警察当局にこの情報をリークした。日本の警察当局が金正恩親子の部屋を盗聴することを期待したとされるが、法律上の制約からか、当時、8~9歳だった幼い正恩氏に強い関心がなかったからか、盗聴は実行されずに終わったという。
一方、現在はどうかわからないが、国情院は過去、ソウル市内の主要ホテルには職員が常駐する部屋を確保していた。定期的にホテルのレストランの予約をチェックし、「これは」と思った人物がやってくるとマークする。