性の悩みと生きる「人性」 心療内科でLGBTQ+の人たちと出会い、気づいたこと

心療内科の診察でLGBTQ+の人たちと出会い、感じたことは(Shutterstock)


一番の悩みは突然わけもなくどうでもよくなって、死にたくなること。じっくり話を聴くと、小学校高学年で女に分けられるのが嫌だったと明かした。

「私、男女双方に好かれるし、嫌われるし。家族にカミングアウトしてから、余計ウザくなった」と立て板に水のごとく話す。

今春、女子中学生に告白された。「オンラインゲームがきっかけ。ゲームでもこういう人に好かれるのかと。根本的に自分が好きじゃないのに」と自嘲するが、さらに聴くと子どものころから母親からの過干渉がいやだったという。

源田さんの場合、明らかなトランスジェンダーというより、セクシュアリティの揺らぎが大きいように見える。

LGBTに収まらない「Xジェンダー」の揺らぎ


すでに書いたように、LGBTには収まらない性的マイノリティにXジェンダーがある。

20代男性の中尾進さん(仮名)が昨夏、気分が落ち込むと来院した。

いじめはなかったが、高校1年から保健室登校となった。2年で通信制高校に転校し、卒業後はアルバイト生活が続く。

「物心ついたときから男っぽいのも女っぽいのもいや。中性がいい。性転換したいわけじゃないけど、格好は女性の方がいい。性別を決められたくない。本心はごく親しい人にしか話せない」

正直、どう受け止めてよいか戸惑いながらも、華奢な体つきの中尾さんに何度もうなずいた。

もう一人のXジェンダーが10代の羽佐間好子さん(仮名)。

過呼吸をくりかえすため、高校受験前に相談を受けた。彼女の家族からうけた仕打ちを聴くと、もっと投げやりになって荒れても仕方がないのに、とさえ思えた。

小学4年の時、父親からの虐待を理由に児童相談所に保護された。母子で数カ月過ごしたが、実はもともとの虐待者は母親だった。幼少期に食事で好き嫌いを言うと、母に箸を折られ、イスを投げつけられた。寝つきが悪いだけで怒られ、泣くと「私が悪いみたいじゃない!」と怒られた。

カウンセリングと漢方薬などで対応し、志望校合格で少し落ち着いたのもつかの間、その後登校できなくなった。すると、診察でポツリポツリ話し始めた。

「小学5年の時、女子扱いされると不快だった。私は女でも男でもないなと感じた。スクールカウンセラーに相談して、Xジェンダーではないかと。交流会に行って、何人かにお会いして確認した。それから哲学の本を読むようになって。自分は誰とも安心して関わることができない人間なんだなって」


雨上がりの虹はいつも美しい。LGBTQ+のシンボル色でもある (Shutterstock)

私自身、性的マイノリティの患者と向き合って感じたことがある。

診察で最初から性の悩みを訴える人は少ない。家庭や職場での人間関係や身体症状が「主訴」で来院される。何度も診察を重ね、こちらとの信頼関係が得られて初めて、「実は」と切り出されるケースがほとんどだ。以前は、それほど大変な経験をしたのなら真っ先に相談を、と思うこともあった。しかし、よく考えてみると、そうではないのだ。

皆、性の悩みを通じて徹底的に孤独を感じ、他人に打ち明けることなど思いもよらなくなってしまう。カミングアウトすることの重圧を嫌でも感じた末の受診で、“本心”が抑圧されるのはむしろ自然な心の防衛なのだ。

LGBTQ+のシンボル色となった虹。7色のあいだに境目はない。光の波長のグラデーションに、人間が勝手に色分けしているに過ぎない。例えば、アメリカでは6色、ベルギーでは5色といったように。それはさておき、雨上がりの虹は、掛け値なしに美しい。性的マイノリティの空にレインボーが輝くためには、どうすればよいのか。

りっしんべんに生きると書いて「性」。それは遺伝子のように誰にでも備わっている。ならば、私たちには性の悩みに生きると書く「人性」の意味を洗い直す宿題が残っている。


連載:記者のち精神科医が照らす「心/身」の境界
過去記事はこちら>>

文=小出将則

タグ:

ForbesBrandVoice

人気記事