「褒める技術」の落とし穴


では、どうすれば良いのか。我々は、部下を褒めるとき、どのような心構えで褒めるべきなのか。

そのことを筆者に教えてくれた、ある経営者のエピソードがある。

それは、ある企業の全社員二千人が、全国の支店から一同に集った全社総会でのこと。その場にゲストとして招かれた筆者は、不思議な光景を見た。

それは、全国の支店から、次々と事業進捗報告がなされた一日の終わり、その企業の社長が、最後の総括の挨拶に登壇したときのことである。

その社長は、ただ「北海道支店のみんな、素晴らしい前進だな!」「九州支店のみんな、来年の飛躍が楽しみだな!」といった言葉を、熱を込めて語っているだけなのだが、会場全体が熱気の渦に巻き込まれていく。全社員の思いが、盛り上がっていく。

後日、社長と二人で懇談する機会に、筆者は、その全社総会のことを、率直に聞いた。

「あの最後の挨拶で、社長は、ただ社員を褒めていただけですね。それが、なぜ、あれほどの熱気になるのでしょうか?」

その問いに対して、その社長は、和やかな表情を崩さず、笑いながら、一言、こう言った。

「いや、社員を褒めるのも、命懸けですよ!」

筆者は、その一言で、マネジメントにおける最も大切なことを教えられた。

部下を褒めるとき、「タイミング」や「ポイント」などを超え、最も大切なことがある。

それは、どのような「思い」を抱いて褒めるかである。

もし、我々が、「この一言で、この部下の中から素晴らしい可能性が開花して欲しい。そして、この部下には、素晴らしい人生を拓いて欲しい」という「願い」を抱いて語るならば、その思いは「言霊」となって、部下の心に響くだろう。

筆者の人生を拓いてくれたのは、巡り会った上司の、部下に対する温かい思いと深い愛情であった。

されば、「我々上司の一言に、その部下の人生が懸かっている」との覚悟。それが、この社長の語る、「命懸け」の意味に他ならない。


田坂広志◎東京大学卒業。工学博士。米国バテル記念研究所研究員、日本総合研究所取締役を経て、現在、多摩大学大学院名誉教授。世界経済フォーラム(ダボス会議)Global Agenda Council元メンバー。全国6700名の経営者やリーダーが集う田坂塾・塾長。著書は『運気を磨く』『人間を磨く』『知性を磨く』など90冊余。

文=田坂広志

この記事は 「Forbes JAPAN No.082 2021年6月号(2021/4/24発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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