情熱を持って取り組めば、自然に道は開けてくる──魚谷雅彦流キャリアの流儀

魚谷雅彦氏(David Fitzgerald /Getty Images)


魚谷さんは留学を勝ち取り、後に大好きとなる仕事に出合うことになります。それが、マーケティングでした。そこから最年少のブランドマネージャーへと駆け上がります。

転職したシティバンクからヨーロッパの食品メーカーに移ったのも、マーケティングがきっかけでした。日本でM&Aをやりたいという海外企業のディール案件を紹介されたのですが、事業について話を聞いているうちに、自然と問題点や改善したほうがいいところが見えてきてしまったのです。思わずマーケターとして、アドバイスしていました。

「そのうち、(相手の)ドイツ人が言ったんです。『お前、バンカーじゃないな』と(笑)」

それで正直に自分の経歴を話すと、後日、来日したその会社のバイスチェアマンから、「ウチの会社に入らないか」と誘われることになります。銀行としてのディール成立かと思ったら、転職の誘い。話を聞いたときは、ひっくり返りそうになったといいます。

「当時、その会社はヨーロッパでは大きな会社でしたが、アジアではまだあまり活動していなかった。日本でビジネスをやるんだから、日本人がやるべきだと考えたんでしょう」

そしてこの食品メーカーへの転身が、日本コカ・コーラへの道につながっていったのです。

枕元にノートとペンを置いて


魚谷さんは、好きなことをやろうとしてきただけでした。しかし、なぜそれが華麗なキャリアへとつながっていったのでしょうか。

「留学したいと思ってライオンに入り、マーケティングに出合い、コカ・コーラに行き当たった。ただ、(自分が)選択したものは思い切り好きになって、のめり込んだ。死ぬほどのめり込んでいたんですよ。マーケティングなんて、24時間、何をするときも考えていましたから」

華々しい仕事実績を持っている魚谷さんですが、すべての仕事が順風満帆だったわけではもちろんありません。

「仕事って、いつもうまくいくわけじゃないんです。山あり谷ありです。谷のときこそ、苦しんで、もがいて、悩んで、本当にこれでいいか、もっと違う答えがあるんじゃないかとまた考える」

でも、それがいいのだといいます。これでいいのかという問題意識を常に持つからです。それが頭にあるから、答えが深くなるのだといいます。

「日々の仕事だって何度も壁に当たってきた。やろうと思ったことができなかったりすることもあった。でも、あきらめない。頭がパンパンになるくらい、いつも考えていました。夜、寝るときには枕元にノートとペンを置いて、思いついたらすぐに書く。たいてい翌日見ると、なんだこりゃになるんですけど(笑)」

魚谷さんはこう強調していました。

「考え続けることが大事。そうやって試行錯誤を繰り返していれば、自信を持って行動に走れるようになる」

資生堂の社長という立場になった後でインタビューしたときも、肩に力は入っていないように見えました。

「歴史と伝統がある会社を委ねられて大変でしょうと問われることがありますが、考え方が逆なんです。歴史と伝統があるから、それをベースに力を発揮できるんです」

これまでの取材で何より印象に残っているのは、次の言葉でした。

「情熱を持って必死で取り組めば、自然に道は開けてくるものなんです」

何より目の前の仕事に一所懸命になる。こんなキャリアづくりの方法もあるのです。魚谷さんは、それを実践してきたのです。

連載:上阪徹の名言百出
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文=上阪 徹

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