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シネマ未来鏡


しかしその後、ユーシュン監督は広告業界に活躍の場を移し、2013年の「祝宴!シェフ」まで長編映画を発表することはなかった。2017年には「健忘村」という作品を発表。「1秒先の彼女」(2020年)は復帰後の長編第3作に当たるが、監督自身が20年前から温めていた脚本を基にして、満を持して撮り上げた作品だ。

チェン・ユーシュン監督は、日本でも「熱帯魚」や「ラブ ゴーゴー」が再上映されるなど熱狂的なファンを得ているが、ひさしぶりにその初期2作品にも通じるものを持った「1秒先の彼女」は、台湾でも高い評価を得て、中華圏(台湾、香港など)の映画賞である第57回金馬奨で、最多の5冠(作品賞、監督賞、脚本賞、編集賞、視覚効果賞)を獲得している。

挿入曲にビージーズの「ジョーク」


物語もきめ細かくつくられているが、実は映像も素晴らしく、特にグアタイの物語に登場する時間が停止した世界の映像は、CGではなく実際の人間を配して撮影されたということで、これも見どころの1つになっている。個人的には、シャオチーを乗せたグアタイが運転する路線バスが、海で囲まれた1本道を走っていく映像が美しく、深く心に残っている。

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6月25日(金) 新宿ピカデリーほか全国ロードショー/(c)MandarinVision Co, Ltd

シャオチーの部屋の窓に映るラジオ番組のDJの姿や、クローゼットのなから現れる「ヤモリ」の存在、「熱帯魚」でも見せたファンタジックな映像が、物語を動かすキーとしてナチュラルに登場するのも、ユーシュン監督の卓抜した映像術の見せどころともなっている。

初期の「熱帯魚」でも「ラブ ゴーゴー」でも印象的だったが、脇を固めるユーモア溢れるキャラクターたちのきめ細かい配置も、ユーシュン監督作品の特徴だ。主人公の職場の同僚たちや母親、前述のDJや「ヤモリ」、交番の警官やバスに乗り合わせた中年男など、いずれも表情豊かで、作品全体を温かい眼差しで包み込んでいるかのようだ。

とにかく物語も映像も、映画「1秒先の彼女」は完成度が素晴らしい。ラブコメが苦手だという人でも満足させるクオリティの高さを持っている。加えて、かつて1990年代に新世代の異端児と呼ばれたチェン・ユーシュン監督の積年の映画に対する思いが見事に結実した最高傑作でもある。

箇所は観てのお楽しみだが、作中でビージーズの1968年のヒット曲「ジョーク(I Started A Joke )が挿入される箇所がある。スクリーンに映し出される歌詞を目で追いながら、実はとてもしんみりとした気持ちにさせられた。そしてこの曲を象徴的に使うユーシュン監督は、案外、歳を重ねているのだなと思った。

「1秒先の彼女」の原題は「消失的情人節」(英題は「My Missing Valentine」)、つまり消えたバレンタインだ。作中に「1秒」という言葉が明示されることはないが(めざまし時計のシーンはある)、この邦題で送り出した日本の映画会社もなかなか考えているなと感心した。ただ、ワンテンポ早い人間は、ワンテンポ遅い人間からすれば、「2秒先の彼女」になるのかもと、どうしようもないことを考えたりもした。

連載:シネマ未来鏡
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文=稲垣伸寿

映画
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