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木原製作所代表取締役 木原康博

売り物は、機械ではなく感動。斜陽産業の乾燥機メーカーが、世界に一つだけの「食」を届ける存在になるまで。


果物から水分を抜いてなおみずみずしい。木原製作所の食品乾燥機が生み出すドライフルーツだ。色が鮮やかなだけでなく、ドライなのにツヤがあり、香りがある。

社長の木原康博に理由を尋ねると、照れた表情を浮かべ、手前みそになりますが……と語りだした。

「例えばレモンの輪切りの場合、高温で乾燥させると黒ずんでピータンのような色になります。一方、湿度管理ができるうちの機械で低温乾燥させると、食材に負荷がかからないので変色せずに透明感ある仕上がりになり、香りの成分も揮発しないのです」

食品乾燥機メーカーは数あれども、温度だけでなく湿度管理もできる技術をもつのは世界で唯一だという。当然、その乾燥機でつくる乾燥食品も無二のものとなる。2015年には、山口市にある同社を訪問した皇太子殿下(現 天皇陛下)が、乾燥イチゴの香りを嗅いで「すごいですね」と驚いたエピソードが新聞で取り上げられた。

得意とするのはドライフルーツだけでない。国産のニンニクは表面を乾燥させて出荷するが、「7割くらいはうちの乾燥機を使ったもの」と木原は言う。

同社は1902(明治35)年、木原の祖父が創業したが、近年までは業界最古参の葉タバコ乾燥機メーカーだった。4代目社長の木原が食品乾燥分野へとかじを切った背景には、「入社したときから逆境だった」という試練の時期があった。


山口市の本社工場。明治35年創業、業界最古参の乾燥機メーカーとして長年にわたり技術を蓄積してきた。

おいおい、大丈夫か?


木原は1977年生まれ。長男だが、いずれ家業を継ぐという意識は薄かったという。

「自宅は会社の近くでしたが何をつくっているのか就職するまで詳しく知らなくて」

地元の高校を卒業し、大学への進学を機に上京。ラクロス部のレギュラーとして活躍し、就職氷河期だったが、複数の企業から内定を得た。ただ、自動車販売会社、教科書会社、保険会社と、いずれも家業と関係のない業種ばかり。それらの内定先から「ずっと勤めてもらえますか」と確認されたことで、「いつか山口へ帰らなきゃいけないかな」という思いが浮かんできた。結局、内定を蹴り、米国へわたってふたつの大学でビジネスプログラムを学んだ。

その留学中、思いがけないメールが舞い込む。

「父が原発不明ガンになったという連絡でした。米国でIT企業でのインターンから就職する話もあったのですが、3代目社長である父がどうなるかわからないというので、山口へ帰ることになったのです」

1歳下の弟、利昌(現専務)も米国留学後に就職活動中だったが、兄弟揃って木原製作所に入社することになった。2003年、木原25歳のときだ。

初めて向き合った家業の印象は、「おいおい、大丈夫か?」だった。

「当時は売り上げの約8割がタバコ乾燥機でしたが、喫煙率はどんどん下がり、かつタバコ農家は高齢化が進んで、JTが減反政策を始めた時期でした。一方、うちの乾燥機は20~30年の耐久性があり、年始に銀行からお金を借りての見込み生産を長年続けていました。農家が減れば機械も余る。これは会社の第二、第三の柱をつくらないと厳しいことになると痛感しました」

追い打ちをかけたのが、2008年のリーマンショック。売り上げの2割を占めていた半導体機械のOEMが、ほぼゼロに落ち込んだ。入社直後から業績の悪化が深刻化し始めていたが、第二の柱まで傾き「大変なことになったな」と頭を抱えた。

文=秋山千佳 写真=佐々木 康

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