「つなぐ」から「つくる」への進化。
これは三井物産が、長期的な視点から自らの将来像を示す“長期業態ビジョン”の中で、同社の今後のあり方として掲げているもの。
これまでは「つなぐ」ことで価値を生むことが多かった総合商社の機能・役割を超え、より主体的にビジネスを「つくる」存在へ進化している。一人ひとりが、よりクリエイティビティを発揮できる文化・環境を整えている三井物産では、各部署で新規事業が立ち上がる。
Moonはその動きをさらに加速させる、一つのプラットフォームだ。三井物産のグローバル・グループ4万4千人以上の社員からイノベーティブなアイデアを募集し、アイデアオーナーをサポートしながら新しい事業をつくり出す存在である。
今回は「アントレプレナーシップ」をテーマに、ふたりの人物が語り合った。
一人は三井物産社員でありながら、Moon所属の社内起業家、田子友加里。乳幼児の夜泣き・寝かしつけを改善するアプリ「Lullaby(ララバイ)」を開発し、日本にはなかったベビーテック市場を開拓した。
もう一人はオンライン直売所「食べチョク」を運営するビビッドガーデンの創業者、秋元里奈。第一次産業の生産者に貢献するために当時25歳でベンチャーを起業した。
“社内起業家”と“ベンチャー起業家”の二人。いずれも「身近な社会課題を解決する手段」として、自ら事業を起こすという道を選んだ。そこにはどのような熱意と覚悟があったのだろうか。
起業したいとは思わなかった秋元、起業への憧れが強かった田子
「食べチョク」を秋元がたった一人で立ち上げたのは2017年。約4年が経ち、現在同サービスを利用する生産者は約5,000軒、ユーザーは約50万人と劇的な成長を遂げている。
起業のきっかけは、農家で生まれ育った秋元の「生産者さんの課題を解決したい」という想い。新卒でDeNAに入社した秋元は、事業開発部門でさまざまな事業の立ち上げを経験した。
それまで「一度も起業したいと思ったことはなかった」秋元だが、「農業をなんとかしたい」と思ったとき、社内で起業するという選択肢はなかったという。
「課題が大きく根深いため、農業関連の事業化は非常に難易度が高く、組織にとっての投資リスクも大きい。でも農家というバックグラウンドを持ち、IT企業で働いた自分だからこそやる、そんな使命感に駆られ、会社を飛び出しました」(秋元)
反対に、社内起業を選んだ田子は、就活生だった頃のエントリーシートに「もっと日本を強くしたい」と書き、当時から起業への憧れは強かった。
「私は帰国子女ですが、幼少期から様々な局面で“日本って素晴らしいのにもったいない”と感じていました。例えばママや女性という理由で、100%の力を発揮できていない優秀な方がたくさんいる。だから日本に貢献するビジネスをつくりたいと思い続けていました」(田子)
田子は三井物産に入社後6年間、国内外の教育事業を担当。ブラジル・イギリス・日本での新規事業開発に携わってきた。スタートアップやベンチャーの起業家たちと接する機会も多く、いつからか「自分が起業するなら、何かタネはないか」と常にアンテナを張るようになっていた。
秘めたる想いに火がついたのは、自身が“母”になったときだった。
「出産を機に、もっと保育者(ママ・パパ)が活躍しやすい社会をつくりたいという想いは強くなりました。まず1番の障壁は何かと考え“睡眠”にたどりつきました。私も経験しましたが、夜泣き対応や長時間の寝かしつけで本当に眠れないんです。
こんな睡眠不足の状態で仕事がつとまるだろうか。復職前夜に多くの特にママが抱える不安だと思います。でも眠れさえすれば、大抵のことは心身ともに健康に対応できます」(田子)
月齢によって乳幼児の睡眠のサイクルは変わる。入力データから、赤ちゃん1人1人の睡眠サイクルをアプリが検知し、寝つきやすいタイミングを知らせるアプリを開発。
類似のサービスは日本にはない。世の中のママ・パパにしっかり睡眠をとってもらい、仕事や育児の現場で伸び伸びと活躍してほしい。田子の想いが結実した。
ふたつの起業のカタチ、それぞれの利点
それぞれ事業を軌道に乗せた二人は今、自らの起業スタイルのメリットとデメリットをどのように捉えているだろうか。
「社内で起業をすることで、社内から一定のサポートを得られるので一番フォーカスしたいコアの『事業』に集中する時間が取れていると思います。社内起業したことによりスピード感が生まれました。
今、ベビーテックは注目市場。2~3年後にはいろんな企業が参入していると考えていたので、いちはやく世に出す必要性を感じていました。だから実現に向けたスピードは最重要。母として子育てと仕事を両立する上でも、事業に没頭できたのはメリットでしたね」(田子)
反対にデメリット、と言えるものがあるとすれば三井物産という大きな看板があるからこその求められるコンプライアンス等の水準が非常に高く、SNSの投稿ひとつとっても配慮に配慮を重ねるという。
一方、秋元は会社を辞めて起業することのメリットを「自分で協力者や関係者を選べること。事業に共感しているひとと一緒にドリームチームをつくるようなもの」と振り返る。
「今でこそサービスは軌道に乗り、事業の可能性を数字でわかりやすく説明ができますが、もし社内事業であれば、ここに至るまでにクローズしてもおかしくないタイミングは何度もありました。資金調達をしようとして70回投資を断られ続けたこともあったので。それでも事業を続けられたのは、たとえ投資家100人中99人がNOでも、残りの1人がYESを出してくれれば良かったからです。
農業のような成功事例が少ない産業において、自分で価値観の合う協力者を選べるというのはとても重要でした。成功も失敗も自分に理由があるのがいいですね。
ただ動き出すと、事業に思ったほど自分の時間を割けないことはデメリットかもしれません。事業づくりだけでなく、人集めや資金調達、日々の経理業務など、特に初期はすべて自分でやらなければいけません。本当はサービスづくりがいちばん好きなんですが」(秋元)
初めからメリット・デメリットを知って選んだのではなく、当時の環境でベストと思える選択をした二人。改めて振り返っても、単なる良し悪しでは計れないそれぞれのアントレプレナーシップが垣間見えた。
退路を断つ覚悟が、道をひらく
「必ず最後までやりきれよ」
田子がMoonへの異動を願い出たとき、上司から返ってきたエールの言葉だ。
あらためてMoonについて紹介したい。Moonには起業をサポートするエンジニアやデザイナーなどの専門人材と、社内起業家と呼ばれる三井物産から出向した社員がいる。
本社はシリコンバレーで、東京が支社。社員の国籍も多彩で、まさにダイバーシティ。三井物産が、時代の変化のなかでゼロイチの事業創出が必要だとして、設立に至った。
Moonが設立されたのは、田子が出産後復職して1年半が過ぎた頃。2018年のことだ。
「悩んだ末に応募を決めました。復職後は保育園からの呼び出しも頻繁にあり、思うように働けない中、当時の室長をはじめ室員に働きやすい環境を整えてもらっていました。そんな中Moonに応募したいと言い出すには勇気がいりましたし、室にも迷惑が掛かることはわかっていました......でも気持ちは変わらなかった」(田子)
異動が決まった田子は周囲の支援に「自分には、成功できずに辞めるという選択肢はない」と覚悟した。Moonのユニークな点として、事業化実現の後は、企業として独立することも選択できる。田子自身もMoonに着任してから1年半。現在、立ち上げた事業を独立させる為の準備中だ。
退路を断ったという意味では、秋元も同じ。70回以上も投資家に断られ続けながら、あきらめなかったのは起業当時「絶対に辞めない」と決めていたから。
断られるたびに「なぜダメなのか」と、上辺だけでない本質的な理由をねばり強く聞き出し、事業の中身をブラッシュアップし続けることに専念。その積み重ねの結果、ここまで成長できたのだ。
起業後に生まれる責任感。そして新たな使命感
二人とも起業のタネは、自身に身近な課題にある。田子の場合、自社事業に関連するテーマなど、なにか制限はなかったのだろうか。実は、ここに三井物産らしさがある。
三井物産には「会社と社員の関係は対等」という考え方がある。個人にとって重要なことは、会社にとっても重要。だから事業テーマは個人的なことでもいっこうに構わない。これは田子にとって幸運だった。
「私は自分のなかにwillがないと続かないタイプ。社会貢献できるとわかっていても、まったく自分に接点がないものはダメ。自分がどうしても解決したいと思うからこそ、ここまでがんばれた」
創業者としてのマインド──。これは、二人の最大の共通点かもしれない。
最も辛かったこととして、二人ともがスタート時の仲間がおらず一人で奔走していた時期をあげた。その体験から生まれた、大事にしているものも共通している。
「最初ひとが集まらない頃は、本当に辛かった。でも今は事業パートナーもいるし、私たちが発行する小児スリープコンサルタントという資格の取得者たちもいます。事業がダメになったら私は自業自得だけれど、信じて一緒にやってくれているひとたちに顔向けできない。それは絶対にできません。仲間への責任感は強いです」(田子)
「“自由だけれど、そのかわり責任は自分”というのは、私自身は心地いいけれど、他の人は必ずしもそうではありません。自由なぶんプレッシャーは大きいですし、そのような環境をのぞむ人もいればそうでない人もいます。仲間の大切さは、一人だった頃に身にしみているから、『人は全員違う』という前提に立って、全員が無理なく輝ける、ベストな環境やコミュニケーションを考え続けたいです」(秋元)
どうしても解決したかった社会課題を事業として形にしたふたり。それをサステナブルな事業へと昇華させるため、やり遂げる覚悟を胸に、今新たなステージを歩んでいる。