一方、日本では、ワクチンを打つ利益よりもリスクの方が重大視されがちで、「ワクチン忌避」の傾向が強くあります。その反対の状況を「ワクチンパニック」と言いますが、いまはお年寄りの接種予約に殺到するなどこの様相が見られます。
徐々に流れはいい方向に変わりつつありますが、ワクチン接種直後に亡くなられる方もおり、因果関係はなくとも「ワクチンのせいじゃないか」と疑われる事案が発生するでしょう。専門用語で「紛れ込み」と言います。その報道が問題視された場合、再び「ワクチン忌避」に移行するリスクがあるので、冷静に対応することが必要です。
MERS対策の「模擬ワクチン」 モデルナ、がん治療に切り替えが奏功
──2016年から石井教授が展開された「モックアップワクチンプロジェクト」について教えてください。
研究者は、次にどんな感染症がパンデミックになるリスクがあるか、世界各地の数十種類の危険性のあるウイルスを把握するリストを持っています。そこで模擬の抗原を用いたワクチンが模擬ワクチンです。実際にパンデミックになった場合、その抗原をウイルスの型に変えれば数週間で数万人規模のワクチンが製造でき、各政府や軍隊、医師などを先行して接種することで感染症地域に派遣できます。
ワクチンの製造には、鶏の卵や細胞培養などの手法もありますが、DNAやRNAを構成する方がすぐ作れるため、私たちは戦略的にRNAを採用しました。私はかつてより政府に模擬ワクチンの必要性を提言しており、2016年からプロジェクトはスタートしましたが、最初にお伝えしたように、18年には政府から数億円かかる臨床試験の予算がカットされました。
各国で研究が進められてきた模擬ワクチンと「アジュバント」の可能性とは(shutterstock)
ちょうどその頃、12年から中東地域やヨーロッパ、アジアで流行ったMERS(中東呼吸器症候群)対策として各国で模擬ワクチンの開発研究がされていましたが、ご存知の通りMERSは韓国でアウトブレイクして、日本までは感染拡大しませんでした。そこで国内でその必要性が薄れてしまいました。一方、モデルナなどはMERS対策からがん治療のワクチンに切り替えて開発し、コロナ以前にRNAワクチンの治験まで進めていました。
あの頃、パンデミックの可能性と模擬ワクチンの必要性について、政府や製薬会社などに提言しましたが、私自身ベンチャー企業を率いているわけでもなく、人生をかけて駆け回って資金をかき集めることはしませんでした。ややもすると、そう叫び続けるのはオオカミ少年になりかねません。
AMED(日本医療研究開発機構)から研究費を得て、私たちは第一三共とともに細々と研究を進めてきましたが、臨床試験までできなかったことは今となっては残念に思います。犯人探しをするなら、真犯人は私だと思っています。
──ワクチンと一緒に投与される物質「アジュバント」の研究も進めていますが、その利点と可能性とはなんでしょうか。
RNAワクチンは、DNAやRNA配列が分からなくてはつくることができません。アジュバントは、それらが分からなくてもつくることができる、新しいタイプの免疫活性剤です。mRNAワクチンの場合、脂質ナノ粒子(LNP)がアジュバントになります。基本的には、ワクチンの効果を高めるためワクチンに混ぜて使われていますが、自らの免疫を上げる効果も期待できます。
感染症のワクチンのほか、動脈硬化やアレルギーなどに対するワクチンや治療薬としても期待されています。すでにがん治療の分野では、手術したがん細胞から抗原の遺伝子を生成し、患者さんに合った免疫をつくるため、がんサバイバーの予防ワクチンは海外では盛んに臨床試験がされています。