コロナ禍の長梅雨に 精神科医と考える「清潔/不潔」の境界

コロナ禍で手洗いを念入りにするようになった人も多いだろう。だが、何事もほどほどに──。(shutterstock)


紀元前8世紀のギリシャではぶどう酒と緑青(銅の錆)、羊毛、油脂の混合液が使われ、以後はハーブ、動物や“鳥の糞”、泥、鉱物、クモの巣、沸騰した油などが使われたという。

同書には重要なことが書かれている。

傷に消毒薬を使いすぎるのが駄目な理由──消毒薬はタンパク質を変性させて破壊する。細菌の壁もタンパク質でできており、それで細菌は死ぬが、同時に、正常な細胞膜も傷つけ、傷を治すのに必要な免疫細胞や細胞成長因子も殺してしまう。しかも、細菌より正常細胞の方が消毒薬により傷つきやすい。つまり、消毒薬を使えば使うほど、傷の治癒は遅れる理屈になる。

夏井医師は同書で、ストレスが皮膚角質の傷の修復を遅らせる実験結果を伝え、さらに、日本人の過度の清潔好きも皮膚の状態を悪化させる主要因と嘆く。

皮膚には常在菌がいて弱酸性に保ち、悪玉菌がはびこるのを防いでいる。常在菌は皮脂を唯一の栄養源としているが、手を洗いすぎると、皮脂が枯渇して常在菌が増殖できなくなり、黄色ブドウ球菌など他の細菌が生息し始める。

コロナ禍で手洗いが強調される昨今、何事もほどほどが大事だという教訓を忘れないでいたい。

中には、虐待や発達障害がもとになり、こだわりが強すぎて不潔恐怖になってしまう患者もいる。

2年半前、中学3年のA君が「人と話せない。細かいことが気になる」と受診した。ひとりっ子で先天性心疾患も影響してか、友達の少ないおとなしい性格。中学3年から外食時の取り箸が気になるなど、潔癖が出始めた。当時通っていた小児科医が、いじめがあったと聴き出し、カウンセリング目的で当院紹介となった。

言葉を介しての診察が難しいと感じた私は、頭皮に電極を装着してモニターとつなぎ、脳波を無意識にコントロールする方式の訓練「ニューロフィードバック」(NF)を彼に始めた。続けるうちに、つぶやくような会話でコミュニケーションが取れるようにはなったが、こだわりが元々強いことが判明した。音や光の感覚過敏もあり、発達障害のひとつ、自閉スペクトラム症と診断してフォローした。一時は改善傾向だった。

ところが昨年来のコロナ禍で外出が怖くなり、通院できなくなってしまった。通信制の高校も通うのが難しくなった。いまは自宅で収集したフィギュアの整理をして、回復を待っている。

白黒のあいだにある「無限の灰色」の世界


冒頭に掲げた17世紀の名言を改めて書き留めておこう。

きれいは汚い、汚いはきれい(『マクベス』)──不潔と清潔の「境界」は意外にクリアカットとはいかない。黒色と白色のあいだには無限の灰色が横たわっている。1か0かのデジタルではない、アナログの世界。

かたや、21世紀はデジタルの時代。コンピュータ化の極限にあるAI(人工知能)は私たちの生活を激変させつつある。

もはや人間ではAIに太刀打ちできない好例がボードゲームの「オセロ」だ。黒石と白石ではさみ合って数を競うルールはデジタル世界そのものだが、ゲームの名付けの由来は、主人公の黒人が奸計から白人の妻を殺し、自らも命を絶つシェイクスピアの悲劇『オセロー』という。

英国の文豪になぞらえれば、世の中にはオセローのデジタルも、マクベスのアナログも必要なのではないだろうか。

清潔を保つことにとらわれすぎ、逆に「不潔」がはびこる愚は避けなければいけない。豪雪にも折れない柳の枝のようにしなやかな思考と行動が、ウィズコロナ時代のいまこそ求められている。


新連載:記者のち精神科医が照らす「心/身」の境界
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文=小出将則

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