スマホじゃない コンピューターの5Gとは?

配送センターに設置されたIBM 360-40コンピュータ(カナダ・1967年)(Photo by Barry Philp/Toronto Star via Getty Images)


アメリカがスパイ事件で牙をむく


ところがこうした状況の最中の1982年6月22日に、日立と三菱電機の社員6人が、FBIのおとり捜査によってIBMから盗まれた情報を買ったとして逮捕され、手錠をはめられて連行される写真まで公開されるというショッキングな事件が起きた。いわゆるIBM産業スパイ事件だ。続いて富士通もIBMから著作権法違反で訴えられて秘密交渉を行っていたことが明らかになった。

そこまでして米政府やIBMが日本のコンピューターに挑んできたのは、70年代から日本に繊維や車や家電で負けて次々に市場で敗退して起きた日米貿易摩擦を、「強いアメリカ」を掲げるレーガン大統領の治世になってから、まだアメリカが世界をリードできるコンピューターや通信分野で逆転しようと政策を強化したためだった。世界のIBMは、「2位じゃダメ」だったわけだ。

おまけにそれに追い打ちをかけるように、アメリカのプライドを打ち砕いたのが、IBMでさえ考えていなかった次世代のコンピューターを国が主導して行う第5世代のプロジェクトだった。アメリカのメディアでは、また物まね日本がオリジナルを追い抜いて、偉そうに説教するつもりかという論調が駆け巡った。


「情報社会。科学者たちは、100万個のトランジスタをひとつのマイクロチップに搭載する、第5世代のコンピュータ技術の完成に近づいている。工場やオフィスに浸透しているコンピュータ端末は、もうすぐすべての家庭に行き渡る」(カナダ・1981年)(Photo by Reg Innell/Toronto Star via Getty Images)

アメリカも19世紀にはヨーロッパのテクノロジーをコピーして追いつこうとしていた歴史があるが、第二次世界大戦を経て核戦力やコンピューター開発で世界のトップに躍り出てからは、敗戦国の日本がここまでキャッチアップしてきて、ついには追い抜いてしまうという悪夢に堪えられなかったのだ。ちょうど1979年には、エズラ・ボーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』がベストセラーになり、日本脅威論が各所で唱えられていた。

日本には先進国アメリカにキャッチアップしたいという気持ちはあったが、純粋に次の時代のコンピューター開発が世界を良くするというナイーブな想いで、各国にこの考えを披露して国際協力プロジェクト化しようと考えていた。こうした相談先の一つだったスタンフォード大学の人工知能の専門家エドワード・ファイゲンバウム教授は、こうした動きに警鐘を鳴らす『日本の挑戦 第五世代コンピュータ』を出版したが、それがまた米国民にこのプロジェクトの危険性を知らしめ、寝た子を起こす結果となった。

アメリカでは軍事や宇宙などの安全保障に関わるテクノロジー以外は、国が一般の産業のビジョン作りや育成を支援することはなかったため、当時の通産省が民間のコンピューター業界育成のために動き出すことは理解できず、スーパー301条などの制裁措置で日本のハイテク製品を締め出しにかかった。

国が何もしてくれないので、民間ではこれに対抗して、16社が参加するMCCという共同研究会社を立ち上げたがあまり話題にならず、イギリスはALVEY委員会がAI研究を推奨し、ECがESPRIT計画で対抗しようと動いたが大きな動きにはならなかった。
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文=服部 桂

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