宿泊・発電事業でスタートした100年企業、プリンスグランドリゾート軽井沢の壮大な次世代戦略とは?

軽井沢プリンスホテルウエスト「ALL DAY DINING LOUNGE/BAR Primrose」のテラスから庭園を望む。左はプリンスホテル常務執行役員徳永清久さん、右が筆者。


世の中の流行の取り組みと交通インフラから始まった軽井沢プリンスホテルの歴史


鈴木幹一(以下、鈴木):北陸新幹線が2024年には現在金沢終着が福井まで広がります。さらに将来は、京都経由大阪までと大幅に広がります。そうなると軽井沢は従来の東京経済圏だけではなく、関西経済圏をも視野に入れた壮大な経済圏となります。今年軽井沢プリンスホテルは、軽井沢での営業開始100年を迎えるにあたり様々な施設を大幅に増強されました。

将来がとても楽しみな軽井沢プリンスホテルですが、まずは軽井沢で事業を開始されて100年を振り返り、どのような歴史があり今の発展に繋がって行ったのか、そのあたりのお話をお聞かせいただけますでしょうか?

徳永清久(以下、徳永):軽井沢プリンスホテルは世の中の流行(スキー・スケート・テニス)をいち早く取り込み発展してきた歴史があります。西武グループの軽井沢での事業開始は、1918年の別荘開発に始まります。1921年に、別荘地に電力供給するための湯川発電所を建設、また、観翠楼という宿泊施設の営業を開始しました。

その後、戦後の高度経済成長期に、国民の間でレジャーの機運が高まり、スケートやゴルフ、スキー、テニス、サイクリングのブームが起きました。そこをけん引する形で、軽井沢スケートセンター、軽井沢72ゴルフ、軽井沢プリンスホテルスキー場をオープンさせ、軽井沢の発展とともに、西武グループも発展してきました。

高度経済成長期から安定成長期に入り、長野オリンピックの開催などもあり、長野新幹線(現北陸新幹線)が開通し、その後、金沢まで延伸したことで、人の流れが変わり、日帰りのお客さまが増え、軽井沢が首都圏から一気に近くなりました。

そこで、リゾート型ショッピングモールの軽井沢・プリンスショッピングプラザをオープンし、ホテルにおいては、別荘タイプのザ・プリンス ヴィラ軽井沢をオープンさせました。また、国際MICEリゾートとしての発展を目指し、自治体と連携し、G7長野県・軽井沢交通大臣会合、G20持続可能なエネルギー転換と地球環境に関する関係閣僚会合を開催することができました。

2024年北陸新幹線福井延伸


鈴木:軽井沢プリンスホテルの100年の歴史は、世の中の動きと共に発展してきたのですね。2024年の北陸新幹線福井延伸にむけどのような戦略をお持ちでしょうか?

徳永:長野新幹線が人の流れを変えたように、今後の北陸新幹線の福井延伸も、人の流れを変えると思っております。現在は、首都圏からの流入が主流ですが、延伸後は、関西圏からの流入が増えると考えています。

現在は、軽井沢を入り口とした広域観光圏として、「プリンストラベルルート」という名称で提案しておりますが、延伸により長野を入り口とした逆の流れが活性化すると考えています。インバウンドの回復が想定されるアフターコロナを見据え、東海道のゴールデンルートに次ぐ、第二のゴールデンルートとなることを想定し準備を進めています。

コロナにより、価値変容、行動変容が起きた結果、あらゆるものがボーダーレスになってきたと思います。特に働き方については、テレワークが進み、働く場所と住む場所の境目がなくなり、旅行と仕事の境目もなくなり、結果としてワーケーションという考え方が浸透、さらに、それが進むと、最終的には移住につながっていくと思います。軽井沢プリンスホテルとしては、観光でいらっしゃる方、移住する方と地域を結び付けて、新たな価値を生み出すハブとなれればと考えています。

今までは、バケーションとしてのコンテンツの整備を中心に時代とともに歩んできましたが、これからは、ボーダーレスの時代になり、遊ぶだけではなく、働く、学ぶの要素がリゾートに求められると思います。そのためには、お客さま同士やお客さまと地域とのつながりを今まで以上に強くするためのコミュニティの創出が今後の課題と考えています。
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文=鈴木幹一

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