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2021.05.22

望まない改姓は「社会的な死」 選択的夫婦別姓を阻む、日本の事情|#U30と考える

連載「U30と考えるソーシャルグッド」 ゲストは、選択的夫婦別姓・全国陳情アクション事務局長の井田菜穂(写真=Yuriko Ochiai)


井田(続き):これは、明治政府がプロパガンダとして流布してきた「家族的国家観」(戸主と家族の関係を天皇と国民の関係になぞらえた考え方)に基づく意見です。日本にはもともと結婚改姓をする文化風習はありません。まず明治8(1875)年に国民全員が名字を名乗るよう義務付けられたのは徴兵のためでした。そして明治31(1898)年に民法で、社会の基礎単位を戸主(家長)が統率する家族として、一つの家族には全員同じ名字をつけるという制度が始まりました。

家制度の始まりです。性別や生まれ順で家庭内序列が決められ、長男が戸主となって指導をして、次男以降や妻子には財産権もなく、人生の自己決定権がほぼ与えられない法律でした。

「家族的国家観では家族は社会の最小単位であり、戸主が率いる家族を統率するのが村や郡の長、そして一番上に君臨するのが天皇である」、というピラミッド型社会を理想としています。明治政府は家制度と教育勅語などを通じて、天皇が父、皇后が母、私たちは臣民、子供たちとして奉仕をする立場であり、国のために命を捧げ、自我を捨てて服従する立場である、という思想を浸透させました。

しかし戦後、家制度は廃止。憲法24条によって婚姻は両性の合意のみ基づいて成立し、両性の平等など個人の尊厳が定められました。名字の規定だけは「家族の秩序が乱れる」として、絶対に家制度のままがいいという人が一定数いました。家父長制という、男性が上に立ち、女性が従属的であるべきだと考える人が政界にもい続けているんです。その人たちの中では、名字を女性に与えて、女性が個人として権利を持ってしまうと、男性の統率がきかなくなり、女系天皇も存在していいのではないかという危険な考えが生まれる、と考えるのです。

しかし、それは宗教観に近い観念で、現代ではストレートに言うことはできないから「家族の絆が壊れる」「子どもがかわいそうだ」という表現にすり替えて、120年間ずっと法改正を阻んできたのです。

名字が違うから家族の絆や一体感が生まれないということは、世界中どこの国でも証明されていません。親が生まれ持った氏名で子育てしたからといって、子供がかわいそうだという社会的なデータもありません。活動をする中で、反対議員の議論はあきれるほど根拠がなく、女性蔑視や感情論に基づいていることを実感しています。

これに対して、私たちが人権や法の下の平等をきちんと理解し、求めていかなければいけないと思っています。

NYNJ続木:私たち一般市民からするとそれはおかしい論理だとわかっているはずなのに、変わらないのがとてももどかしいですね。

選択的夫婦別姓
2020年3月、自民党本部・女性議員飛躍の会の勉強会で。選択的夫婦別姓について賛同する議員も増えている一方で、反対派もいる。

井田:そうですね。この問題は、全ての女性蔑視や性差別に通ずるところがあります。1人の人間として同等に人生の選択肢を持ち、自分の望む氏名を名乗る権利を持つということは、全てのジェンダーギャップを解消していく第一歩です。他の国では何十年も前に認められていることなのですが、日本はまだ第一歩も踏み出せていないのです。

最近では、選択的夫婦別姓に賛成の声が大きくなってきたので、反対する議員たちは「(婚姻前の氏の)通称使用の拡大」を主張して、議員連盟を立ち上げています。旧姓を通称としてより多くの場所で使用できるようにするという意見ですが、それでは必ず限界が来ます。通称は法的根拠がないので、契約や海外渡航、登記など、旧姓が使えない場面は必ずあります。そのどちらも混在した状態では、社会生活を送る上で、結局使い分けをしなくてはならず、本人にとっても、企業や行政にとっても負荷になります。
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文=三村紗葵(NO YOUTH NO JAPAN)

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