1999年、イ・へジンは、サムスンSDSの社内ベンチャーとして、NaverCom(現:NAVER)を5億ウォン(4800万円)の資本金を手に始動させた。当時、サムスンSDSは1億4950万ウォン(1400万円)をNaverComに出資していた。
そんなイ・へジンが売上げをさらに上げるために、ハンゲーム社のキム・ボムスと手を組んで2000年にできたのが「NHN」だ。
合併当時の資本金は22億ウォン(2億1000万円)、従業員数96人だった。合併した1年後には一部のゲームを有料化したモデルである「ハンゲームプレミアムサービス」をローンチし、1週間だけで売上高3億ウォン(2900万円)を突破した。
未来の宿敵と手を繋いだことを、当時は誰も知る余地がなかった。
ライアンの宿敵とは?
NAVERによるハンゲーム社の買収提案を受け入れ、同社の共同代表に就任したキム・ボムスは、大金を手にした。売却した株式も含め、その額は3000億円と推測されている。
2007年、その使いきれないような額を持ってキム・ボムスはNHNを退職し、当時家族たちがいたアメリカで「人生の夏休み」を過ごすことを決める。
しかし、アメリカで過ごしていたキム・ボムスに起業を再度志す機会がすぐにやってくる。インターネットに繋がるデバイス、アップル社のiPhoneを見て衝撃を受けた。PC上のウェブの世界が、今度はスマホを使った「モバイルの世界」に切り替わるのを目にしたのだ。
「これは新しい革命が起きるぞ」。そう思い、Kakao Talkの創業に本腰を入れることになる。
試行錯誤の末、2010年にKakao Talkが世に送り出された。それまで韓国では、通話やメールの送受信には料金が発生していたが、Kakao Talkが全て無料で連絡を取れるようにしたことで、一気に注目が集まった。1年半で利用者は数千万人を超え、3年半で1億人を超えた。
さらにKakao Talkが日本で話題になったきっかけは、2011年に発生した東日本大震災だ。当時日本では震災によりほとんどの通信手段が遮断されてしまった一方で、Kakao Talkは問題なく使えた。
Kakaoはよりメッセンジャーアプリの強さを日本でも知らしめることができた。
なぜ日本にKakaoではなくLINEが来たのか?
Kakao TalkとLINEアプリ (Getty Images)
震災以降、カカオが立ち上げたソーシャルネットワークプラットフォーム「Kakao story」は一時的に日本でも流行した。2012年にサービスが開始し、ユーザーが自らのページに現在のインスタグラムのように写真を投稿できる機能で、Kakao Talkと同時に若者の注目を集めた。
順調にカカオが日本でも裾野を伸ばしていったにもかかわらず、なぜ日本では「LINE」が一般的に使われるようになったのか。
東日本大震災でKakaoが話題になった裏側で、キム・ボムスの成功をしっかり観察していた人がいた。NAVERのイ・へジンだ。2010年Kakao Talkがサービスを始めた3カ月後にLINEが登場した。LINEのローンチ後、韓国ではKakao Talkに太刀打ちできないとすぐに判断したイ・へジンがとった行動は「海外進出」だ。