さらに大きな挑戦をしたいと思い、2000年代に入りシリコンバレーに挑戦することに決めました。私は有名大学卒でも何か大きな発明を成し遂げたわけではなかったですが、それまでのキャリアで十分発明家としても、起業家としても経験を積んでいたので、シリコンバレーを目指したのです。
結果、100社ほどの採用試験でNOを突きつけられました。ただ、一社だけ私の可能性を信じてくれる企業がコンピューターの設計者として採用してくれました。そこで私はかなりよい実績を出すことができ評判が高まっていきます。
この経験を経て、私は自分が実績を出せた背景には多くのメンターが私を導いてくれた結果であることに気がつきます。なので、自分が今度はメンターとなって誰かの役に立てればと考えて、YouTubeチャンネルを開きました。ガレージからPCの回路などの設計の仕方を伝えていくものだったのですが、実はこのYouTubeチャンネルが次のビジネスへと結びつきます。アメリカの大手ビデオゲーム会社のValve Softwareが立ち上げるハードウェアR&Dチームの一人目のメンバーとして採用されました。
Valve Softwareが有するゲームプラットフォームSteamのユーザー層を広げると同時に、家族全員がリビングルームに集まるような斬新なユーザーインタラクションを研究するチームを結成することをミッションに採用され、研究開発全てを担い実施していきました。そこで出てきたARホログラム技術を買い取り、最初のスタートアップとしての挑戦CastARにつながっていきます。
──スタートアップCastARは失敗に終わったそうですが、何が原因だったのでしょうか?
最初のスタートアップ挑戦が失敗したのは、リーダーとして上に立つことに恐怖を感じてしまい、他の人にトップの座を譲ってしまったことです。“リーダーシップのアウトソース”が最大の敗因です。私は創設者としてCastARが持っている技術、理念の素晴らしさを知っていながらそれを舵取りできなかった。なので、その悔しさをバネに現在Tilt FiveではCastARの技術を買い取って自らがリーダーとなり率いているのです。
私がリーダーとして再挑戦しようと思えた背景には、素晴らしいエピソードがあるので聞いてください。
1度目のスタートアップ挑戦が失敗し、悔しさと悲しさでオフィスを一人で片付けていた時のことです。見知らぬ番号から電話が掛かってきました。誰からの電話かと思い出てみると、「ビデオゲームの父」アタリの創設者ノーラン・ブッシュネルからの電話でした。
尊敬するノーランからの電話は私を震わせました。彼は「知り合いから電話番号を教えてもらいコールしました。私はあなたのCastARでの挑戦をずっと見て応援していましたが、あなたが失敗したのはリーダーシップを手放したからです。でもまだ道はあります、ぜひ考えてみてください」と私に指南してくれました。
このノーランの電話があったので、私は信頼できるメンバーに声をかけてTilt Fiveを創業することができたのです。