海外のカーガイたちから絶大なる支持を得るこのブランドは、実は日産自動車の誕生前、1914年に東京・快進社が開発した乗用車のDAT号にそのルーツを持つ。
同社が日産自動車に吸収されたあと、日産の多くの車はダットサンブランドとして輸出されるようになった。
特に世界にその名を知らしめることになったのが、海外ラリーでの活躍だ。かつて日産のラリー黄金時代を築いた名車を紹介しよう。
石原裕次郎も乗った!?
写真は日本車初のサファリラリー総合優勝を獲得した際の実車。そのときのレースは激しい雨に見舞われた最悪のコンディションだったという。
ダットサン ブルーバード1600SSS
1970年、東アフリカで行われたサファリラリーで、日本車として初めて総合優勝を果たしたのが、ブルーバード1600SSS。
SSSとは「スーパー・スポーツ・セダン」を指し、ラリーでの活躍もあって、当時のアメリカでは高校生が初めて乗る車として人気があったとも言われている。
当時としては異例の高度な構造を備え「技術の日産」を強く印象づけた一台。
また日本でも、セダンといえばファミリーカーやショーファーカーというイメージだった時代に、スポーツセダンというカテゴリーを確立した名車だ。
ちなみにブルーバード1600SSSのレース映像も交えて、石原裕次郎が主演を務めた映画『栄光への5000キロ』も製作され、ヒットしたことも人気に拍車をかけた。
ポルシェ911を追い上げた
モンテカルロでのレースではポルシェ911を激しく追い上げた。
ダットサン 240Z
アメリカ市場に販売する新しい車として開発されたのがフェアレディZ。国内では2Lエンジンが採用されたが、アメリカでは2.4Lエンジンを搭載し、ダットサン 240Zとして販売された。
ジャガーEタイプなどヨーロッパ製のスポーツカーと肩を並べる性能・デザインを備えていながら、ライバルたちより廉価だったことで瞬く間に人気車に。
さらにラリーにも参戦。レースデビューした1971年のサファリラリーではいきなり総合優勝を飾る。さらに山岳地帯で行われる、雪と氷のモンテカルロラリーでも3位に入賞。
日本のフェアレディZにはない2.4Lのエンジンを搭載。そのため車名に「240」が入る。のちにフェアレディZにも搭載されるようになった。
サファリの草原だけでなく曲がりくねった山道でも優秀な成績を収めたことで、ダットサン 240Zの高性能イメージはさらに高まった。