母校にカシマを訪ねたり、夜のデートを楽しんだりする場面に、微妙な違和感は匂わされるものの、なお子を心から愛しているらしいカシマと喜びに溢れているなお子の姿に、見る者もその秘密の恋を見守っていこうという気分になる。
明らかな異変は、なお子がカシマと落ち合った温泉旅館で起こる。ちょっと居眠りした間に、何の伝言もなく消えてしまったカシマ。テーブルに出されたまま、栓の開けられていないビール瓶。なお子の心情に即して描かれた、恋人の突然の不在を表すシークエンスは、ひんやりした恐怖を醸し出して秀逸だ。
深夜、公衆電話でカシマの変わらぬ気持ちを確認しつつ「なんでうち、こんなに寂しいんが?」と泣き崩れるなお子。だがなぜカシマがなお子を置き去りにしたのか、そのわけは語られない。
こうしてドラマの進行とともに、一番普通の人に見えていたなお子の”異常”が、徐々に輪郭をとり始める。
優しいけれどもどこか心ここにあらずのなお子に対して、敏感に反応しているのは娘のももだ。父親と会う日、なお子に整えてもらった髪型を「可愛くない」とダダを捏ねるのは、母の言動に不安を感じているからだろう。
(c)2010 映画『パーマネント野ばら』製作委員会
かと思えば風呂の中で、なお子の肩の傷のわけを「知ってるよ、落ちたんだよね」と冷静に指摘する。その傷は幼い頃、自分を愛してはくれないだろう若い父親と、そんな男と結婚しようとする母まさ子への反発から、起こしてしまった事故によるものだ。
その時の幼いなお子の「私のことを一番大事に思ってる? 私を本当に愛してくれてるの?」という目を、娘のももはそのまま引き継いでいる。
後半浮上してくるのは「死」である。
ともちゃんの夫の葬式の後、何匹かのペットの骸を埋めてきた山で、なお子に向かって静かに放たれるともちゃんの台詞は重い。人は二度死ぬ。一度目の死と、人々に忘れ去られた時の死と。それは言い換えれば、相手が死んだことを受け入れた上で、その人を忘れないでいればいいという、なお子への思いやりの言葉だ。
「私、狂っとる?」と尋ねるなお子の言葉を、やんわり否定するともちゃん。1人浜辺でカシマの幻影を見るなお子に、明るく声をかけるみっちゃん。
何もかもわかっていて、黙って見守ってきたまさ子や店の客たち、そして「幸せになりなよ」と血の繋がらない娘であるなお子に言ったカズオなど、人々の見せるなお子へのさりげない優しさが、ここにきて胸に染み通ってくる。
それは、愛だと信じているものに何度も傷つき、喪失を抱え、それでも愛を求めてやまない心を知っているからこそ生まれる優しさだ。
かつて愛する人を失った浜辺で夢想の中を彷徨っていたなお子を、1人で探しにくるのは、幼いもも。冒頭、居眠りしていたなお子を起こしたように、ももは過去の幻影にすがるなお子を「今」に呼び戻す。
現実に帰るのは恐ろしいことだ。何かを握っていたはずの手には、砂しか残っていないのだ。しかし一方で人は、死者の背中だけを見て生きていくことはできない。そうした自分の背中に必死で呼びかける者が、ここにいるのだから。
娘を振り返り、ようやく「今」の手触りを確かめたかのように溢れるなお子の微笑みが美しい。
連載:シネマの女は最後に微笑む
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