広島県知事・湯﨑英彦の言葉は、明瞭だった。慧眼の士だ。東京大学法学部を卒業して、スタンフォード大学でMBAを取得。通産省(現・経済産業省)を退官した2000年にアッカ・ネットワークスを設立し、代表取締役副社長として通信の改革に取り組み、日本のインターネット基盤の確立に貢献した。同社を退いた翌年の09年からは、知事として故郷のために働いている。
「いま、広島県はイノベーション・エコシステムの形成を目指しています。イノベーションを起点として新しい事業が次々と生まれる環境を産業界に提供し、かつては未知だった価値や領域が県内で創出され続ける。こうした仕組みの自走化と持続化、すなわちイノベーション・エコシステムを広島の元気と根源にしていきたいのです」
自身のキャリアにおいて、つぶさに産学官の現場を見てきた知事は、いかなる個人や組織であっても単体でなしえることには限界があると知っている。
「東京一極集中の状況にあるからこそ、地方の行政が主導して、オープンなイノベーションの場をつくるべきだと考えています」
蓄積されてきた知見や最新のテクノロジーを共有して、オープンイノベーション型の共創・協業を推進する。その旗振り役を地方自治体が務めることの意義は大きいと知事は語る。17年3月、オープンイノベーションの旗を掲げる本陣のひとつとして、県は広島市中心部に「イノベーション・ハブ・ひろしまCamps」という名の施設をオープンさせた。多様な人材が組織の枠組みを超えてネットワークを形成する場であり、起業家や経営者によるトークセッション、若手の新規事業担当者を対象にした人材育成プログラムなどのセミナーやイベントを随時開催し、イノベーション創出につなげている。
オープン、アジャイル、チャレンジエコシステムの種を収穫する
「18年からは、みんなが集まって、つくってはならし、創作を繰り返す『砂場』のように試行錯誤ができる『ひろしまサンドボックス』をスタートさせました。県内外の企業や大学などのさまざまなプレイヤーが集まり、デジタルテクノロジーを活用しながら地域課題解決に向けて共創するオープンな実証実験の場です。コンソーシアム(事業共同体)を組むこと以外、ほとんど公募には条件を設けませんでした」
予算は3年間で10億円規模。新規性・計画性・実現性・展開性・革新性・地域性を考慮したうえでの選定を通過した9つの大規模な実証実験を含め、約70件のプロジェクトが立ち上がり、試行錯誤を進めてきた。
そのなかのひとつとなった「スマートかき養殖IoTプラットフォーム事業」でいえば、東京大学を代表団体としながら、シャープ、江田島市、内能美漁業協同組合、平田水産、中国電力、NTTドコモ、セシルリサーチ、ルーチェサーチがコンソーシアムを構成している。
「オープン、アジャイル、チャレンジ。オープンなイノベーションの場における試行錯誤と切磋琢磨のプロセスは、参加団体に属する個人の能力と可能性をリミットレスに高める効果があります。単にナレッジやデータといったレガシーが組織に積み上がるだけではありません。イノベーションの現場に立ち会えた個々の人の成長も大いなる果実なのです。この貴重な果実のなかには、広島の未来を輝かせるイノベーション・エコシステムの種が詰まっているに違いないでしょう」
“イノベーション・エコシステムを広島の元気と勇気の根源にしていきたい。”
エコシステムの形成を実現して広島が再び世界に知られる日へ
広島が打ち出す「オープン」の定義は、日本国内にとどまらない。平和都市・広島の知名度を生かし、海外の活力を取り込もうとするプロジェクトが進行している。その名は「ROAD TO SHINE」。広島とインドの共同ワークショップ・プログラムとなる。
「昨年7月、インド最大級のスタートアップ・インキュベーション施設である『T-Hub』と日本の自治体としては初のパートナーシップを締結しました。共同ワークショップ・プログラムでは、インドから選抜されたチームと広島の参加企業がタッグを組んで、世界にもつながる地域課題を解決するための新たなアイデアやソリューションを創造していきます」
昨今の情勢を踏まえてインドと広島をオンラインでつないで開催されてきたプログラムは、これまでの世界を大きく変えつつあるデジタルトランスフォーメーションの本質をとらえ、そのポジティブなインパクトを広島の産業においてかたちにすることを目的にしている。
現在、インドはユニコーン企業(評価額10億ドル以上の未上場のスタートアップ)の数が世界第3位のベンチャー大国だ。グーグルやマイクロソフト、アマゾンといったグローバル企業の多くでCEOやCFOはインドから輩出され、IT人材の多くがインド出身者で占められている。
「このプログラムは、広島にいながらにして、DXの領域をけん引するインドのIT人材とともにアフターコロナの社会を考えていくための絶好の機会となるでしょう。グローバルに通用する事業の創出やグローバル人材の獲得、さらには広島発スタートアップの創出も視野に入れています」
今年の5月からは日本のみならず世界の社会的課題をイノベーションで解決する人材の育成を目指す「ソーシャル・イノベーション・スクール in 広島」の第3期が開校となる。これは、一橋大学イノベーション研究センター名誉教授の米倉誠一郎が代表理事を務めるCreative Responseとの共同事業だ。
「地域メンターに広島大学や県立広島大学などの教員が参画することで、多くの学生も呼び込み、ソーシャルなイノベーションを軸とするエコシステムの構築にも県を挙げてチャレンジしていきます」
広島県では、イノベーション・エコシステムに不可欠な機能的要素として「人的資本」「交流促進インフラ」「行政主導型支援環境」「遭遇支援装置」「地域資本」「文化資本」の6つを掲げている。これらは、世界的に知られるイノベーション拠点都市に備わっている機能である。
「それぞれの質を高め、有機的に結びつけて、これからも着実に歩んでいきたいと考えています。とりわけ、広島の『文化資本』の礎となっている県民性に私は期待してやみません。戦後の焼け野原から立ち上がってきた広島には、ゼロから新しいことに取り組もうとする熱い心意気があり、もともとアントレプレナーシップにあふれているのです」
平和都市・広島が「イノベーション創出都市・広島」としても世界に認知される日は、そう遠くないだろう。
広島県 イノベーション立県
https://www.pref.hiroshima.lg.jp
湯﨑英彦(ゆざき・ひでひこ)◎1965年、広島県生まれ。90年4月通商産業省入省、2000年3月通商産業省退官。同年、アッカ・ネットワークスを設立し、代表取締役副社長に就任。08年3月、同社取締役退任。09年11月より現職。現在、3期目。本撮影はイノベーション・ハブ・ひろしまCampsにて。