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2021.05.20

西洋への憧れは過去のもの? ブランド信仰と植民地主義の幻影

Getty Images


宗主国が覇権を握っていた旧ラグジュアリーの世界では、主導権は100%、ブランド側にありました。完成度の高いブランドストーリーがあり、そのなかに顧客を巻き込み、顧客を没入させるようなさまざまな手法が用いられてきました。顧客を選んで「あなただけに特別な体験をプレゼントします」というエクスクルーシブな誘惑手法は、今日も車や高級酒、時計、高級ファッションの世界で用いられています。

世界観が万人向けではなく、自分に階級(クラス/ステイタス)を保証してくれる排他的なものであればあるほど、顧客はそのブランドの製品やサービスに高い価格を払うことを惜しまないというわけです。「階級による差異」の価値が信じられている世界ではそれなりに奏功しているマーケティングで、これはこれで続いていくと思われます。

何をラグジュアリーとみなすかは自分が決める


一方、インターネットにより社会の透明化が進み、異文化間の高低差がなくなり、人と人との関係がフラットになっていくにつれ、ブランドと顧客との関係も対等であるととらえられはじめています。それがまさしく今、Z世代の間で見られる現象です。

彼らの目には、他者が一方的に作った「エクスクルーシブな」ストーリーに服従し、取り込まれてしまうことそのものが時代錯誤と見えています。ブランドが提供する「エクスクルーシブな体験」に取り込まれることを、宗主国の文化を無条件に崇め奉る植民地の協力者みたいな行為と見ている若い世代が台頭しているのです(宗主国の文化を崇める「植民地の協力者」、および冒頭の「植民地の民のコンプレックス」という喩えは、静岡大学准教授の本條晴一郎さんの「ガンジー論」から学んだ見立てです)。

そのような新世代は、世界観を作る主導権を自分でも持つことに価値を置きます。何をラグジュアリーとみなすかは自分が決める、というわけです。自分のストーリーを満たすための製品やサービスの提供者と、顧客としての自分は、対等な関係にあるとみなし、そのように振る舞います。

この兆候を理解しているハイブランド側も、顧客参加型のPRを始めています。この春ルイ・ヴィトンが原宿で開催した「Louis Vuitton &」展や、シャネルがネクサスホールで開催する「シャネル・ミーツ・マンガ」展は、ともに無料公開で、若いゲストで大盛況でしたが、そこでは彼らが自由に写真を撮影し、その人らしいコメントをつけてSNSに投稿しています。ブランドをハックして自分の世界観を世に知らしめているとも見ることができます。


2021年春に開催された「Louis Vuitton &」展(Takashi Aoyama/Getty Images)

製品・サービスの提供者と、個に根ざすラグジュアリー観をもつ消費者が、対等な関係で相互に影響を及ぼし合いながら市場を創り上げていく。早晩、こうした動きがマーケットの主流を占めるようになっていきます。

ベイン&カンパニーのいう「文化と創造性」が多様に入り乱れるラグジュアリー市場は、個人それぞれが、自分固有の文化に根差したエクスクルーシブな幸福を追求する結果、生み出される市場という意味だと解釈しています。

そのような市場をリードしていこうと思えば、まずは旧ラグジュアリーを支えていた西洋文化の威光の変化と向き合い、その文化を崇めてきた植民地側も、自らが自らの宗主国になるという気概を持つことが出発点になると思います。いわばポストコロニアリズム的なテーマですが、そのような問題とラグジュアリーの関係について、安西さんはどのようにご覧になっているでしょうか。
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文=中野香織(前半)、安西洋之(後半)

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