11人に1人が乳がんになる時代。「絶対無理」と言われていたピンクリボン運動が広がるまで

北風祐子さん(左)と中西知子さん(右)

新卒で入った大企業で25年間働き、仕事、育児、家事と奔走するなか、乳がんに倒れた北風祐子さん。Forbes JAPANではウェブで2019年11月から約1年間にわたり、彼女の手記を掲載した。

「手術を経て立ち直り、力強く生きる北風さんの文章を読んで感銘を受けた」と語るのは、2002年に朝日新聞で「乳がん啓発キャンペーン」ピンクリボンプロジェクトを立ち上げた朝日新聞社メディアラボプロデューサーの中西知子さん。

当時は「絶対無理」と言われていたピンクリボンのキャンペーンはどのように広がってきたのか。今回は二人の対談を通じて、その展開を振り返る。


がんという「転機」は、多くの人が経験している


──中西さんは北風さんの連載を読んで、どのような感想を抱きましたか?

中西:高校時代からのご友人であり、医師でもあるMさんとの絆が素晴らしいと思いました。治療の意思決定をするときに、心の支えになってくれる方がいらして本当に良かった。ちょっと羨ましいなと思いましたね。誰にでもそういう人がいるわけではありませんから。

北風:Mの存在は本当に大きかったです。私が落ち込みそうになるといつもタイミングよくLINEで励ましてくれて。ただ、私に代わって何かを決定するようなことはなかったですね。例えば、私が入院する病院を決めるとき、選択肢は提示しても決断そのものは私自身がするように強く促したのです。

その態度に触れて、私は「ドクターが何もかも決めてくれるわけではないのだな」と理解しました。「私の体のことについて決定するのは、あくまで私自身なんだ」と。

中西:感情的になるのではなく、Mさんのサポートを受けながら自分の状況を客観的に見て判断していらっしゃったのが印象的でした。芯のあるお強い方ですね。

北風:とんでもない、私は自分を強い人間だとは全く思いません。ただ、病気を経験するまでは、何でも自分で決められる強さがあると思っていました。死生観のようなものも持ち合わせているつもりだった。

ところが、「明日がないかもしれない」という状況になって初めて、その甘さを思い知らされたんです。治療に関する決断を迫られたとき、自分は今まで想像以上に人に依存して生きてきたのだなと痛感しました。

中西:病気を経て、ご自身の考え方で変わられたところはありますか?

北風:そうですね。自分がいつか死ぬことは、みんな分かっていると思います。でも、がんになった人は、その「いつか」がぎゅーっと自分の側に近づく経験をするんです。私は病気を経て、「この先どうなるか」よりも、「今どうするか」を大事にするようになりました。毎日を悔いがないように過ごしたいという想いが、非常に強くなりましたね。

中西:私はこれまで、ピンクリボンキャンペーンやネクストリボンプロジェクト(※)の活動を通じて、「がんによって生き方が変わった」と語るがん経験者の方にたくさんお会いしてきました。(※「がんになっても、安心して働き、暮らせる社会」「がん検診を受けるのが当たり前の社会」を目指す朝日新聞社主催のプロジェクト)

今は「がん=死」という時代ではありません。北風さんのように「転機」を経て命の有限さを意識し、病気を抱えながらも力強く生きている方は多くいらっしゃいます。がんに対する古いイメージは、変えていかなくてはなりません。
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文=一本麻衣 写真=小田駿一

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