羽佐間さんが先日の診察で、つっかえ棒がとれたように一気に吐き出した。
「10年前は残業120時間がノルマでした。社畜には絶対ならんぞという気持ちでした。いまは休んで、評価が下がって、もうそんな世界とは離れています。五月病になる人もいますよ。業績が減ってガンガン責められて。でも終身雇用が絶対ではなくなった、いまの日本で忠誠を尽くしてもね。エンジニアなら何か人に負けないものを持つべきかなあ」
なかには、こちらが思いもしなかった理由で落ち込む人もいる。
自動車部品メーカー勤務30年 町内会も任され
今年2月「仕事をやる気がしない」とアラフィフ世代の戸成知佳志さん(仮名)が当院を訪れた。高校卒業後、自動車部品メーカーに就職して30年。ひとりで問題を抱え込みやすい性格というが、趣味の域を超えたランニングで解消していた。
ところが、コロナ禍で最近は満足に走れない。ソーシャル・ディスタンスを保ってまた走ってみてはと助言したら、本心を語り出した。
「実は町内会の仕事が忙しく、4月から会長を任された。コロナ禍で前例がないので流れが分からない。休日は全部そちらに時間を取られる。おまけに会社でも異動内示があった。これも昨年できた部署で、手探りでいくしかない。融通の利かない人間なんで」
悩んで寝られないというが、投薬は頑なに拒否され、こだわりの強さを感じた。戸成さんも適応障害からくる「五月病」のひとつだ。職場・地域の環境調整をする必要があるが、数回で受診が途切れた。無事を祈るしかない。
今年4月の厚労省発表によると、コロナ関連の解雇や雇い止めは10万人を超えた。昨年5月が最多で、大都市圏が中心。このなかには「五月病」で苦しむ人も多いに違いない。
緊急事態宣言は4府県で5月末まで延長され、愛知、福岡なども対象に追加された。飲食店で酒やカラオケの提供ができなくなるなど、自由が利かない生活が続く。そんななか、少しでも明るい気分になる話題があった。
『となりのトトロ』の登場するサツキとメイの家(1988 Studio Ghibli 作品静止画)
愛知県長久手市の愛・地球博記念公園内にある展示施設「サツキとメイの家」が大型連休前に再公開された。映画『となりのトトロ』に登場する主人公姉妹の住む「家」は、16年前の愛・地球博で公開され、昨夏から整備工事のため休業していた。
1935年頃の建造で、築25年の設定。瓦屋根の伝統的日本家屋に2階建て洋風建築を合わせた、戦前流行した間取り。生活用水は手押しポンプで井戸からくみ上げる。
一般社団法人「職人がつくる木の家ネット」は、この家を「内と外との境がゆるい家」と紹介している。夜、縁側の雨戸を開け、蚊帳を吊って寝ていたサツキとメイがトトロに気づく場面が象徴的だ。
トトロは、サツキやメイのように純粋無垢な心を持つ者にしか見えない。利害関係なく、ただトトロに思いを寄せることが「境」を乗り越える条件だ。ファンタジーと言い換えてもいい。
仕事とプライベートの垣根に悩むビジネスマンが『となりのトトロ』を観ると、ストレスまみれの心に爽やかな風が吹き抜けた気持ちになる。きっと子ども時代を思い起こさせてくれるだろう。
だとしたら「五月病」になりそうな時、「サツキとメイ」になってみたらどうだろう。仕事や暮らしを純粋に楽しめるか──。コロナ禍だからこそ、そうした逆転の発想が大切ではないか。
新連載:記者のち精神科医が照らす「心/身」の境界
連載ページはこちら>>