川村雄介の飛耳長目

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厳冬のロシアで民衆のデモが頻発した。抑え込もうとする警官隊の姿に頭をよぎる事件が、かの「血の日曜日事件」である。1905年のこれまた寒い日だった。生活苦の改善や議会の開催を要求して、平和的に詰めかけた群衆を迎えたのは、近衛兵たちの容赦ない銃弾だった。白雪が朱に染まったという。

近年、コロナ禍にさいなまれる人類社会の統治制度への脅威が増しているような気がする。アメリカでは、熱烈なトランプ支持派が議会を占拠するという暴挙が物議を醸した。欧州の反マスクデモは暴力的だし、香港の諸事件も不気味である。そうこうする内に、ミャンマーではクーデターだ。

技術革新と生活水準の向上を謳歌してきた人類の貴重な統治制度が民主主義だったはずなのに、最近とみに経年疲労に見舞われているようだ。

そこにはもちろんリーダーシップの欠如がある。民主主義はなれ合いではない。多様性を重視するダイバーシティの時代に、国民の「総意」などそもそもあり得ない。リーダーたる者は、少数派に配慮しながらも、果断に多数派の意見を具現化しなければならない。それは権利であるとともに責任でもある。

政策を上首尾に実行できなかったり、後日、少数派が多数派に転じたりしたときのリーダーには、潔く首を差し出す覚悟が必要だ。トランプ氏の言動は、国民のリーダーシップへの渇望と絶望を象徴的に示していたと感じる。歴史的にはこうした時期に苛烈な独裁者の出現を許す。

国家運営だけではない。企業経営にも当てはまる。コーポレート・ガバナンスが単純な直輸入に終わってはいないか。その結果、経営者のリーダーシップに躊躇が見られる企業はないか。失われた30年と「美しい」ガバナンス理論が、そこはかとなく同居してはいないか。コロナの下でも、力強い業績を上げている会社や元気のよいベンチャー企業に共通する特徴は、トップの強力なリーダーシップだと思う。

組織や社会を動かすのは、いつも「最初は蚊帳の外に置かれた人たち」である。その代表格が女性だ。

血の日曜日事件から10年余り後、ロシア二月革命の大きな原動力になったデモがあった。「パンよこせデモ」である。1917年3月8日(新暦)は国際婦人デーだった。時は第一次大戦最中で、帝政ロシア大衆の生活は困窮を極めていた。これに首都ペトログラードの女性労働者たちが立ち上がったのである。酷寒の下、食料も暖もない中に、パン配給を求めて行進する女性たちの運動は、燎原の火のようにロシア全土に広がった。いたるところで血の日曜日が再現され、結果、ロマノフ王朝の崩壊につながったといわれている。

文=川村雄介

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