思想を紡ぎ出す読書

大学時代、驚異的な多読を誇る友人がいた。彼は、ほぼ毎日一冊のペースで本を読破し、それも、文学書や啓蒙書だけでなく、専門書や哲学書まで、幅広いジャンルの本を読みこなしていた。

当初、その友人の姿に敬意を抱いていたが、彼と何度か会話をしていると、残念な気分に包まれた。

それは、彼に読んだ本の感想を聞いても、「あの本にはこう書かれていた」「あの著者の主張はこうだった」といった要約的なことや、短い印象コメントしか述べないからであった。彼のその膨大な記憶力には敬服したが、どれほど多くの本を読んでも、その読書から「自身の思想」を紡ぎ出すことのない彼の姿には、いささか物足りなさを感じた。

なぜなら、著者の主張をどれほど正確に要約できても、それだけでは、著者の思想を超えることはできないからである。そして、今日では、近い将来、そうした要約能力は、人工知能の方が、圧倒的に優れた力を発揮するようになるだろう。

では、読書を通じて「自身の思想」を紡ぎ出すためには、どのような読書法が求められるのか。

もとより、ここで「自身の思想」というのは、過去に語られた様々な思想を学んで比較し、その中から、自分が賛同する思想を語ることではない。

「自身の思想」を持つとは、一つのテーマに対して、様々な知識や智恵が結びついた、自分らしい個性的な「知の生態系」を生み出すことである。

では、いかにすれば、様々な知識や智恵が集まり、個性的に結びついていくのか。

そのためには、「深い問い」を持つことである。

我々の心の中に「深い問い」があれば、それが強い磁石となって、自然に様々な知識や智恵が集まってくる。そして、一つの生態系を生み出していく。

ただし、そのとき大切なことが、二つある。

一つは、「専門の垣根」を超えることである。

例えば、「死とは何か」という深い問いを心に抱いたとする。そのとき、その「死」というものを、様々な専門分野の視点から見つめるということである。具体的には、それを「生物学的死」「医学的死」「人格的死」「社会的死」、さらには「人類の死(滅亡)」「宇宙の死(終焉)」といった視点から見つめることである。もし、そうした多様な視点から見つめ、思索を深めるならば、そこには必ず、個性的な「自身の思想」が生まれてくる。
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文=田坂広志

この記事は 「Forbes JAPAN No.080 2021年4月号(2021/2/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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田坂広志の「深き思索、静かな気づき」

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