ニューメディアがニューだった頃

1981年カナダでのビデオテックス使用の例(Photo by Colin McConnell/Toronto Star via Getty Images)


ニューメディアの意味


アメリカで70年代末から始まったCompuServeやThe Sourceに刺激され、日本でも1985年からASCII-NET、PC-VAN、Nifty-Serveなどのサービスが始まり、最終的には全体で1000万人近くが使っていたが、インターネットが普及すると2000年前後に消えて行った。

現在のインターネットはネットワークのネットワークとして分け隔てなく世界中とつながることが前提になっているが、パソコン通信は中央のホストコンピューターにつながった会員組織内でしかやりとりができない閉鎖的なシステムで、当初はインターネットに顧客を奪われると対決姿勢を示していたが、次第に世界の流れはオープン化に進んで行き、インターネットともつながるようになった。

コンピューターは当初、利用者が計算を目的にアクセスするだけのものだった。ところがパソコン通信では、利用者がコンピューターとつながった後に、さらにその先にいる他の人とつながった。コンピューターという頭脳がただの計算機から、神経網を獲得して人と人をつなぐコミュニケーションのための道具に進化したという意義は大きい。


1989年のミニテルの使用例(Denver Post via Getty Images)

キャプテンは電話で文字を送受する世界的には「ビデオテックス」と呼ばれるシステムの日本版なのだが、それより早く始まったフランス版のミニテルは、利用者同士がコミュニケーションをするツールとして爆発的に普及した。そのけん引役は「メッサジェリー・ローズ」と呼ばれるエロチャットで、メディアの普及と人間の欲望の関係の典型例のように家庭用ビデオとポルノの事例と一緒に紹介されるが、それはまた別の興味深い話だがちょっと本論の趣旨とはずれる。

また文字を使って直接的に電信のようなやり取りができるので、原稿を送るなどの送稿ツールとしても活躍した。それが最初に威力を発揮したのは、1984年の米大統領選挙の際だった。先日亡くなった民主党のウォルター・モンデール議員が共和党のレーガン大統領に対抗し副大統領候補に女性議員フェラーロ女史を指名するという、バイデン大統領に先立つこと36年の大ニュースのスクープに使われたのがパソコン通信だった。ワシントンの地元紙の記者が党大会会場でいち早く聞きつけ、他の記者があたふたしているうちに、ポータブル型のパソコンで先に送って出し抜いた。

当時は原稿用紙に書いた記事をバイク便などで送るか、急いでいるときは電話で吹き込むかしかなく、やっとファクスが使えるようになったばかりだった。現在の記者会見では全員がパソコンでその場で記事を書いてネットで送っているが、当時はまだ革新的な話だったのだ。

しかし、そのパソコンでさえ、最初は何をする道具かは理解されず、若者がゲームをするために使っている高いオモチャとしか考えられていなかった。表計算やワープロのようなソフトが出されてビジネスにも使える(当時はオフィスオートメーション)とメーカーは売り込んだが、まだ軽自動車ほどの価格の高い特殊な装置に過ぎなかった。

当初のデジタル回線やコンピューターが結びついたものは、デジタルだからできる本当の特性がまだ見えず、とりあえずニューメディアと呼んでいて、いったいなにをするのかが分からなかった。しかしインターネットが出て来る時代にはニューメディアと呼ばれていたものが進化し、雑誌や新聞やラジオやテレビといった従来からあるメディアをすべてこなす、まさに新しいメディアであることが徐々に判明してきた。

そういう意味では、デジタル化をいったいなにをするのかも分からず、ニューメディア(新しいメディア)と呼んでいたことは、結果的に慧眼だったのかもしれない。デジタル化が進み21世紀に入ってからITやICTという言葉も普及し、ニューメディアという日本語はお蔵入りしたが、欧米ではメディア化したデジタル環境をNew Mediaと呼ぶようになった。

連載:人々はテレビを必要としないだろう
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文=服部 桂

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