小林は音楽プロデューサーとして、90年代から数多くのヒット曲を世に送り出してきた。ミスチルを筆頭に日本の音楽シーンを席巻し、チャートは常に上位を独占、CDの累計売上はおよそ1億枚にのぼる。
これら楽曲の著作権印税などの使いみちについて、小林は、これからの社会に「より響く」使途を徹底的に考えたという。そのなかで、今日のクルックフィールズの構想が見えてきたと語る。
「莫大な富をもつ人間がリターンのためだけに投資をするなんて間違っている。実際、ろくなことになっていない。『俺の金の使い方を見ろ』などというつもりはないけれど、僕たちがやっていることを通して社会に伝えていく、響かせていくことが大事だと本当に思っています。
03年にap bankを設立した際、省庁や識者の方々との勉強会を重ねました。そこで感じた環境問題への危惧は、いまもまったくブレていません」
クルックフィールズで働く従業員のなかには、青年海外協力隊出身のスタッフもいる。農業や土木などの分野で一定のスキルをもつ彼らは、ボランティアとして途上国のインフラ整備等に従事してきた。恒久的な循環型施設を目指すクルックフィールズは、お金だけを目的としない彼らの理想の職場であり、実験施設ともいえる。
つまり小林にとってこの施設は、日本の戦後資本主義に対するアンチテーゼなのだ。
Jポップの一時代を築き上げた類まれな才能への対価が、資本主義経済のおかげだという自覚は小林にもある。だが、芸能人やスポーツ選手の社会的発言を封じるような日本の風潮には異を唱える。
「もともと音楽は、ブルースのように自由を求めるものであったり、弱者に向けられた思いだったりする。音楽がもっているその力を社会に生かしたいという気持ちは、以前からありました」
音楽マネジメントなどの事業は、次第にサステナビリティを目指す事業へとシフトしていった。ap bankでの活動でも地球温暖化懐疑説などさまざまな意見がぶつかり合ったが、それは当たり前のことだと小林はいう。だからこそ、行動を起こして示すというクルックフィールズの事業につながっていったのだろう。
「たとえば、地球温暖化の原因をすべてCO2のせいにするのは盲信だという意見がある。仮に温暖化が進んだとしても、そのなかでも(人類は)やっていけるというイメージをもつことのほうが大事じゃないか、と。僕もそれは完全には否定しないけれど、問題解決の選択肢の1つとして、僕が着目した農業などいろいろ手の打ちようはあると思うんです」