さて、その「京都館会議」で、僕と酒井准教授も老舗を数軒、取材した。そのうちの1軒が、京和傘「日吉屋」。5代にわたり、和傘を製造している老舗で、茶道裏・表両千家御用達の本式野点傘をはじめ、番傘、蛇の目傘、羽二重、舞傘等の製造卸販売を行っている。
酒井準教授は、芸舞妓がせっかくの美しい着物姿に安いビニール傘をさしているのが残念だとずっと感じていたそうで、和傘をベースにしたビニール傘をつくれないか、ふたりで直談判したのだった。僕はそこで和傘の構造をまじまじと見て感動した。和傘の骨は1本の竹からできている。つまり、職人が竹を均等に割って骨をつくっているのだ(だからきれいに畳める)。
ビニール傘というのは、物との向き合い方を雑にさせ、心の隙を表面化させる格好の品だ。一方、和傘でも洋傘でもいい傘なら愛着がわくし、大事にするだろう。しかも蛇の目傘というのは開き具合を2段階に調節できる。理由は「人とすれ違う際に小さくできるように」。そのような他者を慮る心が江戸時代からあるのだ。雨や雪があたったときの音も心地よい。外に行くのが楽しみになる、それが和傘の魅力だ。
ここで面白い話がひとつ。けなしてしまったビニール傘も、日本の“発明品”だった。1721(享保6)年創業、煙草(たばこ)商を営む武田長五郎商店が、約100年後に雨具商に転身。刻み煙草の湿気を防ぐために箱の裏側に貼っていた油紙を使って畳める雨具(いまでいうレインコート)をつくり、江戸幕府御用達にまでなったという。
第2次世界大戦後は、進駐軍の使っていたテーブルクロスに目をつけ、ビニール製の(綿の傘にかぶせる)傘カバーを開発。さらにビニールそのもので傘をつくることを発想し、1958(昭和33)年に乳白色のビニール傘の原型が完成。
1964年、東京オリンピックで来日したアメリカ人バイヤーから「ニューヨークで販売したい」と言われ、透明なビニール傘が生まれた。商売でも時代でも、常に一歩先んじるには発想の転換に次ぐ転換が必要だと、ビニール傘に教えてもらった次第です。
今月の一皿
blankで出される「キャビア最中」にはゆずピールをしのばせており、キャビアの塩気のあとに爽やかな香りが広がる。
blank
都内某所、50人限定の会員制ビストロ「blank」。筆者にとっては「緩いジェントルマンズクラブ」のような、気が置けない仲間と集まる秘密基地。
小山薫堂◎1964年、熊本県生まれ。京都芸術大学副学長。放送作家・脚本家として『世界遺産』『料理の鉄人』『おくりびと』などを手がける。エッセイ、作詞などの執筆活動や、熊本県や京都市など地方創生の企画にも携わっている。