物議のネトフリ環境ドキュメンタリー『Seaspiracy』が成功したこと

Jillian Cain Photography / Shutterstock.com


人類社会がしばらく前から集団的な狂気に陥っていることは、大半の人が理解していることだ。自然界の無限なる驚異は、単なる資源やスプレッドシート上の数字として見られ、利益のために搾取し少数の億万長者の懐を肥やすためのものとされてきた。

これは誰もが理解していることであり、『Seaspiracy』のようなドキュメンタリーは、環境に関する際限ない懸念のリストにもう一つの罪悪感を加え、人々に自らの愚行を戒めるものだ。ただ、こうした作品は常に有用とは限らない。地球が抱える問題の規模の大きさや、個人としての無力さ、指導的立場にいる人々の絶望的な愚かさを見せつけられ、悲観に暮れてしまうこともしばしばある。私は時々、気候変動否定派の無知をうらやましくも思う。問題の存在をただ否定できれば、どんなに楽だろう。

ただ『Seaspiracy』のエンディングは、若干ながらも前向きなものになっている。解決策となりうるものとして、栄養素を多く含みつつ、水銀が含まれていない植物由来の魚介類代替品が提示されているのだ。もちろん、この問題は全体的なものであることや、タンパク源として魚介類に頼らなくともよい人々は経済的に恵まれた一部のみであることを思えば、この解決策は付け焼き刃的なものにも感じられる。

だが、多くのマイクロプラスチックや汚染物質を体の中に入れるよりはましだ。『Seaspiracy』の大きな強みは、人々の食卓に上る海産物の無残な状況を明らかにすることで、視聴者に生々しい嫌悪感を催させることにある。

1本のドキュメンタリー映画が世界を変えることはないだろうが、消費者の怒りは強い力となり得る。ちまたでは、特定の著名人や企業が一斉にボイコットを受ける「キャンセル・カルチャー」が広まっているが、世界に公正さがあるのならば、その標的となるべきなのは、生き物よりも利益を優先して海底をあさる、汚染者や略奪者たちだ。

編集=遠藤宗生

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