観光客9割減の高山祭で考えた サステナブルツーリズムの未来

今年は屋台の曳き揃えやからくり奉納、夜祭りは中止に。屋台蔵での公開のみとなった


そして、その日の高山は、オーバーツーリズムを呈し始めていたこのところよりも、観光客が少なくなり、しっとりとした日々の暮らしが息づく高山の街並みが好印象だったと、コラムでも書いたことを思い出す。しかし、その日ともまったく違っていた。何より「寂しい」のだ。

これが、コロナ禍が始まって1年以上が過ぎた「いま」なのだと痛感した。あの頃は、もう少ししたらきっと良くなる、そんな想いもまだ残っていた。でも、今日の高山の町並みには、深い寂寥感のようなものが漂っていた。その感じは単に人がいないからなのか? そう思いながら、迎えの車の窓から流れていく静かな町並みを眺めていた。

旅館に到着すると、馴染みの女将がいつものように満面の笑顔で迎えてくれた。もちろんマスク着用だ。昨年の8月のときとは異なり、フェイスシールドがなくなっただけでも少しホッとした。不思議なものだけれども、女将の顔を見ると、やはり涙が出そうになった。「昨年は3カ月も休業したんよ、おかげさまですっかり太っちゃった」という女将の言葉に気を取り直し、いつもの部屋にチェックインした。

これが本物の祭りの姿ではないだろうか


ユネスコ無形文化遺産にも登録されている、豪華絢爛な12台の屋台で知られる高山祭。縮小となった今年の祭りは実際、どうなっているのだろうと思いながらロビーに降りると、女将から「ちょうどこれから旅館の前を御巡幸(ごじゅんこう)が通るから、ぜひ、観てね」と誘われ、外に出た。

しばらくすると、目の前を小さな神輿を中心に、かみしもに身を包んだ30人ほどの一行が、旅館から80メートルほど先、高山の観光名所である古い町並みの入り口、赤い中橋のたもとに鎮座する小さな社殿の「日枝神社御旅所(おたびしょ)」に向かってゆっくり歩いていった。獅子舞もあったが、動きも小さく、拍子抜けするぐらい静かだった。

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御巡幸の様子

御巡幸と呼ばれるこの祭り行列は、氏子の繁栄を願い、神様が1泊2日の旅をするというもので、御旅所が神様の宿所というわけだ。神様は、春の高山祭である山王祭の神社、日枝神社の御分霊として神輿に乗り、本来ならば大行列を組んで氏子区域の家々を巡り、2日目には神社へ帰っていくのだという。

御巡幸を見ながら、「例年なら、もっと延々と祭り行列が続くんよ」と残念そうにつぶやく女将の横顔には、それでもこうして神事が行われたことで、神様に願う、または祈るものとしての安堵に似た喜びも感じられた。

それから私は、町なかの屋台蔵に向かい、いくつかの立派な屋台を見学した。確かに素晴らしい。これが曳き揃えられたらさぞかし荘厳な景色だろうなと思った。
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文・写真=古田菜穂子

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