ニュアンスは数多くのM&A(合併・買収)を繰り返してきた歴史がある。もともとは、発明家のレイ・カーツワイルが文字認識製品を開発するために1974年に創業した、カーツワイル・コンピューター・プロダクツが母体だ。同社はその後ゼロックスに買収され、「スキャンソフト」に改名されてスピンアウトされた。
スキャンソフトは1999年にヴィジョニアーという会社に買収されたが、統合後の会社に名前は残された。新スキャンソフトは2001年、すでに1995年に上場していたニュアンス・コミュニケーションズと音声認識市場で対抗するため、ベルギーのレルノート・アンド・ハウスピーを買収する。レルノート社は、人気音声認識ソフト「ドラゴン・ナチュラリースピーキング」を開発したドラゴン・システムズを買収していた。時系列パターンの認識で「隠れマルコフモデル」と呼ばれる確率論モデルを活用したドラゴン社は、音声認識技術の精度では絶対的なリーダーだった。
2005年9月、スキャンソフトはニュアンスの買収を決め、統合後の名前にはニュアンスを採用した。こうして今のニュアンス・コミュニケーションズが誕生した。
ニュアンスはその後も買収を通じて急成長を遂げてきた。これまでに52社におよぶ音声技術企業を買収し、あらゆる分野を網羅するコングロマリットとして業界でほぼ独占に近い体制を築いている。ニュアンスは自社の技術をさまざまな企業にライセンス供与しており、アップルの「Siri」も当初、ニュアンスの技術を基にしていた。
マイクロソフトによるニュアンス買収は、マイクロソフトがインターフェイスとして音声を重視していることをあらためて示す動きだ。折しも、新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的大流行)の影響でビデオ会議が本格的に普及するなか、音声を文字に起こす技術は急激に利用が広がっている。
マイクロソフトは過去に医療分野でニュアンスと提携した経緯があるだけに、アナリストの間では今回の買収も医療分野の協業をさらに深化させるものとの見方が多い。ただ、マイクロソフトはチャットツールの「Teams」など、ほかの多くの製品にも文字起こし技術を組み込むことを計画している可能性もありそうだ。
マイクロソフトは現在のパンデミックを、音声インターフェイスが広がった未来に向けて促進するものと捉えている。これまでと同じことを続けるためだけに、企業が200億ドル近い規模の買収を計画することなどありえない話なのだ。