子どもたちは何のために「学校」で学ぶのか? 学びの本質を問う

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宮下さんがつくる教室は、子どもたちが困ったら、すぐ友達に「助けて」と言いやすい環境だ。誰かが困っていたら、「助ける」こともできる。授業の内容により、その関係性は自在に入れ替わるという。

体験を通して「わからない」「助けて」と言えることの大切さを知り、教えるときにはどうしたら相手に伝わるのかを試行錯誤する。支え、支えられながらお互いが変化し、成長していくのだ。

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「困っている人が声をあげ誰かが助けるという、このようなやりとりは、世界平和の学習だと思っています。私の教育の目的はすべて『世界平和』につながっている。算数の問題を解きながら、子どもたちは世界平和の勉強をしているんです。

クラス全体の学習の目当てを毎時限黒板に書きますが、そこには必ず『全員が』という言葉を入れます。これは、全員ができなければならないということではありません。1人1人目当ては違い、それぞれに取り組み方は異なってもいい。でも、自分が終わったらそれで終わりではなく、1人も置き去りにしないということを大事にしています」(宮下さん)

教師は子どもたちと人や社会をつなぐ「中間支援人」


宮下さんは、保護者や地域の大人たちをよく学校に招くという。ときにゲストティーチャーとして、仕事に対する思いを語ってもらうこともあるそうだ。宮下さんによれば、教師とは、子ども同士だけでなく、子どもと保護者や地域や社会をつなぐ「中間支援人」だ。

子どもたちを大人たちや地域とつなげることは、苫野さんが提唱する「ごちゃまぜのラーニングセンター」にもつながる。これからの学校には、障害のあるなし、年齢や世代を超えて、さまざまな文化が混ざり合い、お互いに知り合うことができる多様性が必要だ。講座のファシリテーターでもある汐見稔幸さんは次のようにまとめた。

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宮下さんの担任するクラスでは、子どもたち自ら授業を進める姿もよく見られる

「『教師は中間支援人』という表現は、実に本質を捉えていると思います。宮下さんのクラスでは、多様な可能性を持った子どもたちが、すでにある文化や歴史、地域や社会の大人たちと出会い、子どもたち同士で助け合いながら自分らしく伸びていく様子がうかがえます。宮下さんは、それを支えるのが教師だと考え、実践されている。

アメリカの教育哲学者であるジョン・デューイ(1859年〜1952年)は、『LIFE』という言葉にこだわりました。『LIFE』とは『命』であり、命を輝かせる行為の『生活』であり、その命の物語である『人生』です。すべての人に平等に与えられる命を、どうすれば輝かせることができて、生まれてきてよかったと思える人生を送ることができるのか。そのために子どもたちを応援することが教育の目的なのだと思います」
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文=太田美由紀

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