子どもたちは何のために「学校」で学ぶのか? 学びの本質を問う

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さらに、「できあいの問いと答えを学ぶ学び」から、「自分なりの問いを立て、自分なりの仕方で、自分なりの答えにたどり着く探求型の学び」への転換が必要だという。

「この前提として、信頼と承認の場づくりが必要です。自分の学びが尊重されると、他者の学びも尊重しようと思えるようになります。つまり、あなたの存在は本当に尊いということを土台にしなければならない」

苫野さんは、教育(学校や教師)は何のために存在しているのかという問いに対して、「すべての子どもに『自由の相互承認』の感度を育むことを土台に自由に生きるための力を育むため」と答える。

「自由の相互承認」とは、市民社会の根本原理であり、「お互いを対等に自由な存在同士として認め合い、そのうえでお互いの自由を調整し合うこと」。そのためには、世代を問わず多様な人たちがともに学ぶ「ごちゃまぜのラーニングセンター」のような環境を実現することが必要だという。

つまり、教育の目的は、他人と争って生き残りやすくなるためのものではない。多様な価値観を持つ多様な人たちとそれぞれを認め合い、お互いに自由に生きることを目指すものである。そしてこれからの時代、教育によって、そのような社会を実現することのできる人間に1人1人が成長することが必要なのだという。

算数の時間も、世界平和について学ぶことができる


神奈川県横浜市の公立小学校の教員である宮下章さんは、まさに苫野さんが提唱するような場や授業を長年実践してきた人物だ。学習指導要領や指導書(教え方の解説書)、指導案(教員自身が考える学習指導・支援の計画案)にとらわれることなく、目の前の子どもたちを見て「応え合う」ことを大切にして、一度限りの授業をつくっている。

「指導案に頼りすぎると予定調和やノルマが生まれ、子どもたちを誘導し、『がんばれ』と言いたくなってしまいます。私は、子どもたちを観察し、子どもたちを信頼して任せ、『何もしない』ことができる先生でありたい。全体を俯瞰し、小さなエピソードを拾うことを大事にしています」(宮下さん)

宮下さんのクラスでは、環境にもさまざまな工夫がある。教室の中央に広場のようなスペースを確保し、周りに4人ずつの「アイランド型座席」をつくる。授業中に推奨しているのは、座学ではなく、どんどん立って歩きまわり情報を集める「立学」だ。

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子どもたちが自由に歩き回れる「アイランド型座席」の様子

宮下さんは、この教室を「アナログ版インターネット」と呼んでいる。オンラインで検索するかわりに、その場にいる仲間を頼り、自分の足で情報を集めるからだ。

「なかには、ずっと座ったまま1人で集中して調べたり考えたりしている子どももいます。『どう思う?』と子どもたちに聞くと、『先生は立学を勧めるけど、人によっては座学の日があってもいいんじゃない?』と返ってくることも。私はほんのちょっぴり傷つきながら、なるほど、座学も価値があるよね。お互いを認められる子どもたちって素晴らしいなって思うんです」(宮下さん)
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文=太田美由紀

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