一方、日本にはそのようなプログラムが常にある大学がないだけでなく、ラグジュアリーが体系的に学ぶ対象になっていることを知らない人が圧倒的多数です。
それよって生じることは何か。ラグジュアリーをキーワードにした風景の見方やそこで使われる共通言語に無知であることで、ハイエンドの領域を市場としてリアル感をもって認識できない。よって、どのように参入すればよいかの手がかりを得にくい。また、この分野の方向性を読むことも、見込みを立てることもできず、右往左往することになります。
ラグジュアリー領域は、ゼロから開拓を夢見る市場ではなく、パンデミック以前では、最終個人消費財やリゾートなどの体験型を合計するとおよそ140兆円の世界市場規模です。「そんな実態のない市場にエネルギーを使えるか?」という捨て台詞がここでは通用しません。
大学のラグジュアリーマネジメントのコースはおよそ2つのタイプに分かれます。MBA(経営学修士)で教える内容をラグジュアリー分野に特化しているタイプが一つ、もう一つはファッションやデザイン、あるいは人文系をベースにしてラグジュアリーマネジメントを学ぶというもの。どちらもいわゆる高級ブランド企業で働く人の育成になるだけでなく、この分野でスタートアップしたい人たちの背も押しています。
異文化理解とラグジュアリー
これらのコースで教えている教授らが強調されている点で、ともすると日本の方たちが見過ごしやすい重要な点があります。異文化理解です。なぜなら、何をラグジュアリーと認知するかは文化圏によって異なるので、異文化理解がすべての基礎になります。マーケティングやブランドを学ぶよりも優先度が高いのです。
連載3回目、スイスの会社でバッグの商品開発をはじめたジュリア・ラッケンバック氏を紹介しました。彼女はミラノのボッコーニ大学の学部で国際ビジネスを学びました。卒業後、高級ブランド企業に勤め、再び同大学のMBA系ラグジュアリーマネジメントで学び直し、家業を継いで新規事業をおこしたわけです。
ジュリア・ラッケンバック
つまり、実際にラグジュアリー領域で仕事をしても(あるいは、したからこそ)、体系的に学ぶ必要を感じたことに目を向けるべきでしょう。そして、その彼女も異文化理解の必要性を語っていました。
ラグジュアリーを学ぶ際には、多くの分野を横断的にみる視野も要求されます。経営学だけではなく、人文学や芸術などの分野でどのような議論がされているかを知らないとラグジュアリーを語り切れません。歴史的な文脈や価値の変化が文学や芸術でどう表現されてきたか、これらに少なくても「土地勘が利く」のが望ましいのです。本連載名を「360度の風景」としているのもその理由です。