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ポストラグジュアリー 360度の風景


30年ほど前、駆け出しのイギリス文化研究者としての修業を積んでいた私は、古き良き人文学(The Humanities)の伝統が崩壊していく過程を、身をもって体験しました。

英文学を例にとると、「モームなど読んでも“役に立たない”から観光で使える英会話を教えろ」「シェイクスピアの英語など古すぎて“使えない”から、BBCのリスニングをやれ」ということになりました。書店には「ビジネス書」の棚が登場し、人文学の棚は隅の方に追いやられていきました。2015年ころには文科省主導で「社会的要請の高い分野への転換」という方針が国立大学向けに打ち出され、一部の人文学は国から「なくてもよい学問」とみなされてしまいました。 

そのしっぺ返しを今、社会全体が受けているのではないでしょうか。

人望と教養を備えた人間的厚みのある人材がいなくなった。本物のリーダーシップを発揮できるトップも見つからない。優秀な人は日本を脱出している。そんな山積していく課題に対し、「○○思考」というハウツーが出ては「役に立たず」に消滅するというトレンドを繰り返す。表層をいじるばかりで大胆なイノベーションが起こせない。

こうした状況を受けて、肩身を狭くしてきた人文学が、ようやく息を吹き返そうとしているのかもしれません。人文学は決して死に絶えることはなく、火の鳥のように、人間社会が変容しなくてはならないタイミングで、最先端に浮上してくるように見えます。

唯一無二の「正統性」の強さ


道案内英会話が主流になる以前の「英文学」では、一例をあげると、実生活には役に立たないであろう古典を丁寧に読解していきます。この過程で、複雑な人間性が時代に応じてどのように認識されてきたかを認識し、自分が依拠している文化および異文化のコンテクストを客観的に俯瞰する視点を獲得していきます。

読解や議論に謙虚に向き合うプロセスは、無意識のうちにとらわれていた構造や思い込みからの解放を伴います。そのような精神的自由を獲得する積み重ねが、「かつての自分が知りもしなかった自分」というゴールを創造することにつながるのです。

こうして内側から獲得されたゴールには、唯一無二の正統性(authenticity)があります。ラグジュアリーに必須の、正統性です。

ブルネロ・クチネリはこれからの時代にふさわしいラグジュアリーの成功例として注目を浴びていますが、彼のラディカルな先端性は、まさにこのような、時代から見捨てられそうになっていた人文学的なプロセスを意識的に経て、世に提示している点にあります。


文=安西洋之(前半)、中野香織(後半)

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