コロナ禍という人の移動に制限をかけられた状況を、いまの若い人たちはどう受けとめ、いかに向き合おうとしていたのだろうか。
なにしろ彼らは人生のなかで最もエネルギーのあふれる年代だ。筆者の学生時代は、中国の改革開放やソ連のペレストロイカの時代と重なり、それまで鉄のカーテンの向こうに隠されていた未知なる世界を自分の目で見たいと、春と夏の長期休暇を使って旧共産圏の国々を訪ね歩くことに夢中だった。
考えるよりまず動きたい。動きながら考えたい。そんな自分と同じような性分の若者はいまもいるだろう。それを思うと、しのびない気持ちになる。
こうした問いや思いに、ひとつのヒントを与えてくれたのが、この4月に立教大学観光学部から創刊された機関誌「RT」だ。
立教大学観光学部から創刊された機関誌『RT』
誌面の内容はネット上にも公開予定
「RT」は、観光学をめぐる最前線の知見やトレンドを、研究者同士の対談や論考、学生たちの取り組みを通じて紹介する媒体だ。2005年から2018年にかけて計17冊刊行された「交流文化」の後継となる定期刊行物である。
創刊号の特集テーマは「ポストコロナ時代の観光」。ここでいう「ポスト」とは、コロナ終息後ではなく、「コロナ禍を経験したいま」という含意がある。はたしてポストコロナ時代の観光は悲観に満ちたものなのか。それとも、新しい時代の幕開けなのか。この特集のタイトルにはそういう問いかけがある。
簡単に同誌の内容を紹介しよう。
小野良平観光学部長による「いまだからこそ、観光学再考」という創刊によせた呼びかけで始まる同誌は、まず、同学部教員で都市工学者の西川亮准教授と社会学者の高岡文章教授の、ポストコロナ時代の観光についての対談が掲載されている。
語られているテーマは多岐にわたるが、冒頭での高岡教授の以下の発言は印象的である。
「いま『ステイホーム』の掛け声とともに移動が制限されているとき、いちばん誰が得をしているのかというと、実は私たちのような観光研究者なのではないか。
社会全体の移動を中断するというのは、きわめて非人間的で暴力的なことです。しかし、現実に移動が止まりました。このような異常な状態においてこそ、移動とは何か、旅とは何か、他者をまなざすとはどういうことか、などといった本質的な問いについて、私たちはよりクリアに思考できるようになりました」
移動できない、観光できないという状況が、逆に観光とは何かという問題について考える機会を与えてくれたという指摘である。