ミラーワールド化で、現実の複製と住む未来

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縮まる情報との距離


ミラーワールドという言葉が最初に世に出たのは、マルチメディアやインターネットの商用化が始まった頃の1991年に、米イェール大学のデビッド・ガランター教授が書いた『Mirror Worlds』という本でだった(1996年に『ミラーワールド─コンピュータ社会の情報景観』(ジャストシステム)として邦訳)。


米イェール大学のデビッド・ガランター教授(Photo by Andreas Rentz/Getty Images for Hubert Burda Media)

この本では、画面を通して外界やソフトの動きを水晶玉に映ったように見せ、それを操作して使い勝手を向上させる方法が論じられている。デスクトップ環境をアーカイブして、過去の利用状況を再現できる手法も紹介され、かつてアップルのタイムマシン機能がこのアイデアを勝手に拝借したと非難されたこともあった。ガランター教授の頭の隅には、1982年の映画「トロン」のように、人間がコンピューター世界の中に入って操作するイメージが浮かんでいたのかもしれない。

余談になるが、ガランター教授は右手が義手だ。大学に送られてきた郵便物が爆発したせいだが、これを送ってきたのがユナボマーと呼ばれるセオドア・カジンスキーという数学者だ。テクノロジー文明が人類の自由を奪うと関係者を標的にし、1978年から95年にかけて、全米の大学や航空会社に爆発物を送り付け、死者3人負傷者23人を出した。

初期の大型コンピューターの時代には、部屋ほどある巨大な機械のスイッチやメーターの付いたパネルを操作し、キーボードやパンチカードを使ってコマンドを打ち込み、計算結果をプリンターに打ち出すような使い方がされた。コックピットから機械の中をそのまま操作するような方式だが、まるで遠くにいる偉い人や神様にお願いしてそれが叶うのを待っているような使い方だった。

しかしパソコンが普及し始めると、ウィンドウズに象徴されるように、画面に書類やフォルダーが絵で表示され、書類を開いて文字を打ち込んでフォルダーにしまって整理する、デスクトップという方式が主流になった。操作は目の前で、思いついたことをそのまま伝えて答えてもらう、友人と対話するような方式になり、文字中心よりビジュアルが中心になった。

そしてパソコンがネットとつながるようになると、今度はブラウザーを使ってウェブにアクセスし、ドラえもんのどこでもドアを開けるように、ホームページというリンクした先の見えない世界に飛ぶという使い方になった。蜘蛛の巣のように情報を結んだウェブを作り出すWWWは、世界中のコンピューターの中の情報を、一つの巨大な本のように階層的にアドレスを付けて扱う手法だ。これこそボルヘスが書いた、一文字ずつ異なるありとあらゆる書物が並んだ『バベルの図書館』そのものだ。

この超巨大な図書館から目的の1ページにたどり着くためには、目次自体が大きくなり過ぎてその中で迷ってしまう。そこで索引のようにキーワードを付けてアクセスするしかなく、グーグルのような検索エンジンを開発する会社が世界に君臨するようになる。

そしてソーシャルメディアの時代になると、今度は情報がそのページに固定されるというより、リアルタイムに流れ出し、それらがシェアされてはまた他の場所でエコーするというストリーミング化が起き、固定した場所の番地を示すキーワードではなく、情報の流れの特徴を区別するタグのような目印が必要になった。

そしてミラーワールドの出現だ。ついに人類は情報の作る宇宙を遠くから眺める時代から、さらに近寄って本の大海原で現在の位置を計測し、さらには流れに乗って波間をサーフィンし、ついにはミラーワールドという情報の海の中へとダイブする段階に突入したのだ。
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文=服部 桂

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