好きになったことを突き詰めると、その先に分からないことがあっても、さらに知りたいと思えるのです。その瞬間こそが、まさに勉強したいと思う瞬間で、このときに学校の先生が戻ってくると、以前と同じ算数の授業をしたとしても、子どもたちの食いつき方が違ってきます。そのような瞬間こそが、子どもたちにとっての学びの場なのです。半信半疑だった市長も親御さんも、変化した子どもたちの姿を信じて、バーバパパの学校に子どもたちを預けたい、と思うようになります。
こんな学校こそが、もしかすると理想の学校かも知れない。それが、私が早川教育長にお話ししたことです。ここで大切なことは、子どもたち自身が学びを選ぶということです。
重要なのは「学びの選択肢がたくさんある」こと
私が、世界中、それから日本中、理想的な学校がどういうところなのかというのを調べる中で、魅力的な学校に共通すると感じることがあります。それは、「学びの選択肢がたくさんある」ことです。好きな場所で学ぶことができたり、好きなことを学ぶことができたり、学ぶ内容を選べたり、さらには学びの設計図である「時間割」を先生と一緒につくることができる学校こそが、子どもたちにとって本当によい学校なのではないか、と思うようになりました。
しかし、子どもたちがこれを選ぶというのはなかなかに難しく、しかも、そういう環境はほとんどありません。大人は、時間割も、教室も、担任の先生も、9教科も、よかれと思って子どもたちに与えます。子どもたちに必要だと思うから与えるのです。
でもこれを子どもたち自身が自分で選べるチャンスというのは、どうすれば作ることができるのか。みんな同じように同じペースで学ばないといけない、これができることが、大人になるために必要だと大人は考えます。そのためには我慢をしないといけないし、耐えなければならない。
しかし、本当にそうでしょうか。我慢して、耐えることだけが、子どもたちに必要なことで、これを6・3・3の12年間、さらに4年間足して16年間耐え続けられた人だけが大人になれるのでしょうか。
開校式を待つ校舎(写真提供:塩瀬隆之氏)
私は、そうでない場所、を作ることが大事だと思います。
子どもたちが勘違いしている言葉の一つに、「義務教育」という言葉があります。子どもたちのほとんどは、学校に行かなければいけない義務だと感じています。どんなに苦しくても、どんなにしんどくても、行かなければいけないのが義務教育だと勘違いをしています。