前川喜平元次官に聞く。文理を超えた「学際的学び」は今なぜ重要か

shutterstock.com

教育では最近、文系と理系の仕分けがあいまいになっているという。小中学校では、国語や算数に並んで、「総合学習」が行なわれるようになった。大学はこれまで文系の人文科学系(文学部、外国語学部、教育学部など)、社会科学系(経済・経営学部、法学部、商学部、社会学部など)と理系の自然科学系(理学部、工学部、医学部など)に大きく分けられてきたが、近年は文理を超えたいわゆる「学際的な学び」が注目されてきている。

「学際」とは、いくつかの異なる分野にまたがる学問や研究のこと。東京大学教養学部学際科学科のほか、京都大学総合人間学部、九州大学21世紀プログラム、早稲田大学人間科学部国際教養学部なども多数新設されている。

日本の教育はどのような方向に向かっているのか? これからの教育はどうなるのか? 元文部科学省事務次官で、40年以上教育の分野に携わり、教育現場の内情、実情に詳しく、切れ味鋭い発言に定評のある前川喜平氏に話をうかがった。


学問は文系でも理系でもない「哲学」からはじまった


「歴史をさかのぼって考えてみると、学問は哲学からはじまっています」と前川氏は言う。

「哲学には文理の区別がなくて、自然とか社会、人間など全体を考える。『(社会は、人間は)どうなっているんだろう?』と疑問を感じて考えるのは、人間に備わっている本能なんだと思います。それが原動力となって、哲学が生まれたのです」

null
前川喜平氏

大学院で取得できる博士号は「PhD(Doctor of Philosophy、ドクター・オブ・フィロソフィー)」と呼ばれる。4年制大学卒業で学士、大学院で2年間学んで修士号を取得後、3年間学びながら研究することで得られる難易度の高い資格だ。そして、PhDのPhilosophy(フィロソフィー)は、哲学である。

「文系であろうと理系であろうと、根っこは哲学なんです」

フランスでは、日本の高等教育にあたるリセの正規の教科として哲学が課されている。「日本でも国際バカロレア(IB)を導入している学校はフランスをお手本にしていて、『知識の理論(セオリー・オブ・ナレッジ)』という、考え方を問う哲学のような教科が必修科目になっています。そのほか、「総合学習」と呼ばれる教科はそれに近いものがあって、文理を超えているのです」

人類全体にとっての問題に文理の別なし


環境問題、気候変動、食料問題、核軍縮……考えてみると、今、我々はいろいろな問題に直面している。

「気候変動は人類全体にとっての危機ですよね。そのほか、考えていくべき大きな課題はたくさんありますが、それらは文理では分けられません。小学校から大学までに習った知識を総動員しながら考えるわけです。そもそも、文系、理系などの教科はとりあえず学校で教えるために便宜的に分けたにすぎません。縦割りの教科の背後には何千年にもわたって人類が積み上げてきた学問、森羅万象を探る哲学があるのです」と前川氏は言う。

小学校から高校までは国語、算数(数学)、英語、理科、社会などのいわゆる「縦割り教科」が続いてきた。また、大学も文学部、法学部、経済学部、医学部、理学部、工学部など、伝統的に縦割りの学部に囲われてきた歴史を持つ。

「(その中で)それぞれに同族的な集団が生まれ、『私はこの分野の学者である』というように自分で自分を狭いところに追い込み、囲い込んでいったのです。

それを本来の学問に戻そうというのが、『学際的な研究』です。学問を縦に考えることから脱却する必要があるとして、小中学校で設けられたのが1989年の学習指導要領からはじまった『総合的な学習』なのです」

小学校では、この総合的な学習が比較的うまくいっているという。それは、ひとりの先生が国語、算数、理科、社会……とすべての教科を教えられるからだ。縦割り教科の“壁”を簡単に打ち破ることができるというわけだ。「実際、素晴らしい総合的な学習を行なっている先生もいらっしゃいます」
次ページ > 「縦割りの教員免状」がボトルネック?

取材・文=柴田恵理 編集=石井節子

ForbesBrandVoice

人気記事