ビジネス

2021.03.25 07:00

「脱密」支払い機能で大ブレイク。時代の要請に応える起業家の哲学


前の職場のコネと祖父から借り入れた1万ドルを使い、アイザックマンは銀行を説得し、事業に必要なライセンスを取得した。さらに、地元の友人で理系の名門校のローチェスター工科大学に進学したブレンダン・ローバーに声をかけた。

「彼ならきっと事業を成功させると思った」と話すローバーは、大学を中退してアイザックマンの会社に加わった。

第一次インターネットバブルの絶頂期だった99年の時点ではかろうじて自動車の運転免許を取得できる年齢になった少年が率いる新興企業が、飛ぶ鳥を落とす勢いで業績を拡大した。

「あのころは年齢を明かさず、地下室に隠れていた」とアイザックマンは振り返る。

03年には祖父からの借金を完済し、アリゾナ州に第2オフィスを設けた。そして次の波をつかんだのが、08年に投入した「ハーバータッチ」と呼ばれるレジとカード決済を一体化させた機器だ。スクエアが登場する何年も前に、彼らはタッチスクリーン式の決済端末をPOSシステムと連携させ、大成功したのだ。

空への情熱と新事業


しかし、事業が軌道に乗るとアイザックマンは自らが激務で消耗しつつあることに気づき、とある趣味を始めることにした。それが飛行機の操縦だった。

まずはプロペラ機から始めたが、何百時間もの飛行時間を積み上げ、ジェット機の操縦にステップアップした彼は、09年に軽量ジェット機による世界一周飛行を完遂。そして、民間人でも航空局の要件を満たせば軍用機を飛ばせることを知り、戦闘機の操縦を学び始めた。00年には米空軍の曲技飛行チーム「サンダーバーズ」の隊員と知り合い、航空ショー専門の飛行隊を結成。プロスポーツの試合でアクロバット飛行を披露している。

「戦闘機を操縦するチャンスに恵まれる民間人は非常に少ないし、免許を交付される例も極めてまれだ。彼には並外れた情熱があった」と、当時の彼を知る人物は話すが、アイザックマンはここから新たなビジネスを発想した。

当時の米軍は、金融危機後の予算削減で、高額なコストを投じて新人の訓練を行うことができなくなりつつあった。彼はそこに商機を見いだした。仲間のパイロットと共に、ドラケン・インターナショナルという名の企業を創業した彼は、世界各国から100機ものジェット戦闘機を揃え、従来より低いコストで空軍の訓練を請け負う事業を始めたのだ。保守的な軍の上層部に食い込むのはたやすいことではなかった。しかし、4年もの時間をかけて説得にあたった結果、15年に最初の契約を獲得。ドラケンは今では、米空軍と2億8000万ドルという巨額の契約を結び、パイロットの訓練を引き受けている。

一方で、戦闘機を買い付けに世界の航空ショーを飛び回りながらも、アイザックマンは決済会社の経営に全力を注いでいた。

「1日16時間働くうちの約15%がドラケンの仕事で、残りは決済事業について考えていた」
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文=ジャコモ・トニーニ 写真=ティム・パネル 翻訳=木村理恵 編集=上田裕資

この記事は 「Forbes JAPAN No.078 2021年2月号(2020/12/25発売)」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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