ワーケーションで新たな人の流れをつくる
「ワーク(仕事)」と「バケーション(休暇)」を掛け合わせた造語のワーケーション。この新スタイルの働き方が、コロナ禍をきっかけに広く受け入れられつつある。環境省も補助金を支給するなど、全国各地でワーケーション誘致の動きが活発だ。
兵庫県はその流れにいち早くのった県の一つ。但馬、淡路、神戸・阪神、播磨、丹波の“兵庫五国”と称した5つのエリア別に、それぞれの特性を生かした地域活性化策を模索している。丹波篠山市では、都会と行き来する都市農村交流の場としての一定の成果を出して勢いづく。
兵庫県の中で最初にワーケーションに取り組み出したのが、県内北部に位置する新温泉町だ。ユネスコ世界ジオパークに認定された豊かな自然環境が広がり、1000m級の山々が連なる一方、3つの海水浴場を有し、湯村温泉をはじめとする良質な温泉も湧く。特産品には黒毛和牛のルーツである但馬牛があり、海あり山あり温泉あり、さらにグルメもあるという観光地としても魅力的なエリアだ。
全国トップクラスの観光地に比べると強烈なインパクトはなく、他の地域と同じく少子高齢化による人口減少という深刻な課題を抱える。そこで新温泉町は、観光客ではなく「第2のふるさと」と感じてくれる交流人口、なかでもビジネス上のつながりを増やすきっかけに、ワーケーションが有効と考えた。
夢千代日記の舞台で知られる。昭和レトロがそこかしこにある(撮影:Visualizer TETSU-LAW)
そこでワーケーションをはじめとする県外の人とのビジネス展開を模索するべく、2020年10月に企画されたのが、モニターツアー「ファムトリップ」だ。
予備ツアーや参加者人選など下準備は入念に
このファムトリップとは何か。「慣れ親しませる」を意味する「Familiarization」の略であるFAMにトリップを加えた観光用語で、一般的にはインフルエンサーなど発信力のある人を対象としたモニターツアーのことをいう。
今回、新温泉町で実施されたファムトリップは一味違うものとなった。但馬地域のワーケーションモデルの確立を念頭に置いた取り組みで、ワークスペース候補地をはじめ自然環境、地場産業、温泉、歴史的建造物、そして海岸に押し寄せる海外からのプラスチックゴミ問題、廃校となった高校跡の活用の可能性など、多角的に町の魅力や地域課題を多角的に探る、ディープなプログラムを用意したのだ。
参加したのはIT企業や雑誌出版社、PR会社など首都圏を中心に活躍している企業や団体、フリーランスら13名。職種は多種多様だが、発信力や分析力、行動力に加えて意思決定権と継続性を兼ね備えていることが共通点としてある。
新温泉町の浜坂駅前を歩くファムトリップ参加者たち(撮影:児玉真悠子)
参加者の人選も慎重に行われた。都内約40社にファムトリップの概要を説明し、さらに町役場の担当者や地元関係者らが訪問候補地を下見して動画や写真を撮る予備ツアーを実施。それを元に参加打診をするなど、時間と手間をかけたことで新温泉町の秘めた可能性や課題解決に真剣に向き合う精鋭が揃うことになった。
新温泉町は羽田空港から1時間15分、さらに車で45分。東京から2時間の距離にあり、「思ったより近い」と感じた参加者は多く、2泊3日のファムトリップは良好なスタートを切ったのである。
ツアー中に新規事業の話が続々と決まる
ファムトリップで参加者が最も気にしたのが、ワークスペース候補地で、ツアーには趣の異なる3カ所が組み込まれた。最初に訪れた湯村温泉の中心地にある「荒湯観光センター」。ここは絶景のロケーションで、今後カフェ機能が加わる予定もあって、立地的にも地域住民と滞在者の交流が生まれる可能性が高い。町を代表するワーケーション拠点になりそうなスポットだ。さらに車で10分ほど離れた山間部にある「ログハウスカナダ」は、温泉街とはひと味違うのんびりとした環境が魅力。ログハウスのダイナミックでのびやかな空間には、グランドピアノがあり、近隣には体育館があることから、子連れや複数の家族でのワーケーションの可能性をもつ。
温泉街近くにある「新日鉄湯村山荘跡」は、ワーケーション以外にも多目的に使えそうな大規模な施設。それだけにワーケーション仕様で改修するよりも「他にリソースで検討した方が有効」の声が多く上がった。
新温泉町のカフェで仕事をする参加者(撮影:児玉真悠子)
新温泉町は海、山、温泉が至近距離にあり、山陰海岸国立公園へ続く景観美や、宿泊した湯村温泉の泉質の良さなど総じて高評価で、「初めて来たけれどもう一度来たい」「ワーケーション向きの環境」と好意的な感想が多く寄せられた。
透きとおるシークレットビーチ。地元の人しかたどり着けない(撮影:Visualizer TETSU-LAW)
温泉を活用した「温泉茹でタケノコ」「温泉キャラメル」などの特産品開発や、全国の有名ブランドと対抗する海産物のブランド戦略にまで話が広がり、地域住民との交流に価値を見出した参加者も多い。
実際、ファムトリップ中に参加者4人が地元事業者と意気投合し、新規事業へと話が発展。新温泉町を舞台にしたバーチャルツアーの実施や、地元作曲家への依頼、地元食材の販売を進めるべく再訪を決めるなど話が進み、SNSで情報発信する人も現れたほどだ。
東京から参加した腕利きの寿司職人は、会話を最も重視する(撮影:Visualizer TETSU-LAW)
だが、同時に課題も見えてきた。Wi-Fiなどのネット環境とデスク周りの設備や広さなどのワーク環境はまだまだ改善の余地があり、緊急時のバックアップ体制の脆弱性もわかった。さらに町中の移動やスポット情報の不十分さ、町のデザインの不統一性など、地元住民にとっては住み慣れた町だけに気づきにくい改善点も浮き彫りになった。
切り口を変えたファムトリップで町の魅力を分析
このファムトリップに手応えを感じた新温泉町では、深化版として2020年12月に町の魅力を反映した商品開発、販売にビジネスチャンスを感じる参加者8人を選定した3泊4日のファムトリップを実施。食品加工組と異業種交流プロジェクト組の2班に分けて訪問先も絞り込んだ結果、複数の水産加工品の東京での販売やテレビや雑誌、SNSでの町の魅力発信へとつなげている。
さらに、2021年2月には湯村温泉ワーケーション推進事業としてファムトリップを企画。2020年10月のファムトリップでは参加者がマイクロバスで移動していたのに対し、今回は鳥取空港からレンタカー移動という交通手段を変えた。
5名の参加者の中には前回のファムトリップの参加者もおり、「移動の自由度が高まり、行動範囲が広がった」「距離感がつかみやすい」と好評で、ネット環境やワーク環境の改善にも、今春、コワーキングスペースがオープン予定という具体策があり期待が集まった。
他にも自然豊かで冬季のみ体験できる楽しみとしてノルディックスキーをツアーに組み込んだり、ワーカー向けのマップ作成をしたり、切り口を変えたファムトリップで、新温泉町ならでは自然環境の魅力や、家族一緒のワーケーションの可能性が見いだされている。
奥行きあるワーケーションで差別化を図る
兵庫県では次々ファムトリップの企画が立ち上がり、地域の状況や特性にあったワーケーションを模索することで、兵庫県の他地域でもファムトリップを検討する気運が高まりつつあるという。
そして、ファムトリップを通じて、単に仕事をしながらレジャーを楽しむワーケーションのみならず、ビジネスを通して何度も交流しあえる関係性を深めるワーケーションにするための具体策も見えてきた。
それは観光地を巡るだけでは得られない地域の人々との交流や、地域文化香る暮らしの追体験が、「おかえり」「ただいま」と言い合える持続的な関係性を育むことにつながる。
何度も訪ねることで新温泉町が第2のふるさととなり、「もてなす側」「もてなされる側」という関係性から、さらに地域の人々と近く深く関わる“短期住民”という発想が、人口増や地域活性化にもつながる可能性を秘める。
地域の特性を生かした、兵庫県ならではの一歩踏み込んだ奥行きあるワーケーション。そんな新スタイルが確立する日もそう遠くなさそうだ。